冷戦を通じて、NATOの枠組みによって西欧諸国は米国の強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。植民地経済の喪失により、一国ずつの力が弱くなった西欧諸国は、米国の強大な軍事力と核の抑止力の庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を選んだわけである。東側との直接戦争に向け、米国によって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、米国製兵器が各国に供給された。途中、アメリカやイギリスと外交歩調がずれ、独自戦略の路線に移ったフランスは軍事機構から離脱、そのため本部がパリからベルギーのブリュッセルに移転した。一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが役立ったことは言うまでもない。航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みで西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。
西欧は米国の庇護を利用する事によって、東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功し、「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。
1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧の動乱と1991年のソ連崩壊により、NATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また、域外紛争に対応する全欧州安保協力機構(OSCE)、旧ソ連・東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会(NACC)を発足させ、加盟国外でもNATOの軍事的抑止力を享受できることを確認した。
1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった制裁空爆を行い、存在感を発揮したものの、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えてしまった。
一方、ソ連崩壊により、ソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATO加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連に代わる自国の安全保障政策としてNATO加盟を希望する一方、拡大に警戒心を持つロシアはその動きを牽制した。1994年、「平和のためのパートナーシップ(PFP)」によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展し、1999年に3カ国、2004年に7カ国が加盟するに至る。こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く旧ソ連圏諸国とアルバニアを残し、他はすべて西欧圏に引き込まれた。
21世紀に入ってからは、NATOと日本の自衛隊やオーストラリア軍などアジア、オセアニアの各国との共同演習や防衛計画構想も検討されている。
アメリカ同時多発テロ事件後の対テロ戦争(アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。しかし、2003年のイラク戦争にはフランス・ドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、米国に追従するポーランドなど東欧の新加盟国と、仏独など旧加盟国に内部分裂した。2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊した米軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。2006年7月にはアフガンでの権限を全て委譲され、NATO以外を含める「多国籍軍」を率いることとなったが、同時期にタリバンがアフガン南部各地で蜂起し、NATOと戦闘となっている。アフガンのNATOは英軍4000名が最大であるように、加盟各国ともに拠出兵力に限界があり、戦闘は苦しいものとなっている。また、仏独はこの戦闘作戦には参加しておらず、加盟国の内部分裂とアフガンでの疲弊により、NATOは新たな国際戦略の練り直しが必要とされている。
冷戦期に西側陣営を構成していた日米欧の三極において、日米および欧米の関係に比べ、日本とヨーロッパの関係は比較的薄いものであったが、2005年のNATO事務局長の訪日および2007年1月には安倍首相(当時)が欧州歴訪の一環としてNATO本部を訪問するなど関係構築が進められている。安倍首相が出席した北大西洋理事会(NAC)における構成各国の代表との会談においては、全ての主要国が日本との協力関係構築に賛成するなど、緊密な連帯が確認された。これらの首脳による関係の他にも、NAC下部組織である政治委員会との非公式協議の開催や、ローマに存在するNATO国防大学上級コースへの自衛官留学、NATOによる災害派遣演習へのオブザーバーとしての参加など末端での協力体制も行われるようになった。NATOはアフガニスタンにおける活動の中で、現地の日本大使館が行っている人道支援・復興活動に注目しており、軍閥の武装解除を進めるDDRプログラムの指導国である日本との連携を模索している。
日本としては、北朝鮮問題およびヨーロッパから中国への武器輸出問題に関してNATO加盟国の理解を得たいとの思惑が存在する。NATOは2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射、10月の地下核実験に際して極めて強い口調の非難声明を発表しており、また武器輸出問題に関しては、中国の人権問題が一定の改善を見るまで見合わせると報道されている。
2004年現在26カ国
原加盟国(1949年)
アメリカ合衆国・カナダ・イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・アイスランド・ノルウェー・デンマーク・イタリア・ポルトガル