長野市は長野オリンピックの開催地だった(1998年2月7日 - 2月22日)。
2008年4月20日朝、本堂に落書きがあったとして警備担当の僧侶が長野県警へ 通報を行った。善光寺の本堂は1707年に再建された国宝であり、通報した善光寺によれば白いスプレーのようなものでの落書きによる破壊行為は本堂回廊の北側に5ヶ所、西側に2ヶ所あった。[153]新たなスタート地点は長野市の聖火リレー実行委員会によって変更され、県の勤労者福祉センター跡地となった。[154]
また、聖火リレー実行委員会が聖火を南長野運動公園へと移動させる計画についてはチベットでの中国政府の弾圧に対して抗議活動を行うデモ参加者に配慮して中止となった。[155]
2008年4月24日、ウィキペディア日本語版の長野駅のページと北京オリンピックのページに聖火リレー当日の長野駅への爆破予告が書き込まれ、インターネット上のニュース[156]や同年4月25日の読売新聞の夕刊にて報道された。
2008年4月26日、長野市の善光寺は元々のオリンピック聖火リレー計画でのスタート地点とされていた。これを善光寺が4月18日に「世界各地での妨害活動に関する混乱の未然防止」「同じ仏教寺院としてチベットに対する配慮」という理由で辞退したため、オリンピックの聖火リレースタート地点は変更となった。[157]それは暴力的な抗議活動のリスクを負った。[158]
レースに先立っては、入国を試みた人権活動家が、入国を拒否されるという事態が起きた。国境無き記者団はレース妨害を見合わせると引き替えに、善光寺内で会見を行い、中国政府の弾圧への反発を表明した。
中国側は当初、各国において聖火を護衛した人員を日本にも同行させる意向を示していたものの、”青い服の集団”に対する国内世論の反発が強まったため、最終的に護衛の少人数のみを同伴させることに合意した。
中国人留学生組織「学友会」が在日中国人留学生に呼びかけ約2,000人の留学生が長野市に集まることになったとの情報を元に、公安筋は警備計画を練ったが実際に集まった学生たちの総数は4,000人を超え、「学友会」が用意したTシャツは2,000枚ほど不足した。[159]この移動費用は中国大使館が支援しており、留学生への参加注意とマニュアル、巨大な中国国旗、手持ち用の小旗なども配布され、中国のイメージを崩さない注意や警察官への対応、集団行動に関する方法等も示されていたという。[160]
また、これに対しチベット側のデモ隊も全国から集結し、この中にはネット上で募りあった日本人も含まれていた。
出発式会場の「県勤労者福祉センター跡地」と休憩地の「エムウェーブ」は一般人の立ち入りが禁止され、到着式を行った「若里公園」も式典エリアへの立ち入りを制限された。[161]その後善光寺の僧侶たちはチベットでの犠牲者に対し追悼した。
聖火リレーがスタートすると、沿道は中国側(後述)のデモ参加者、チベット側のデモ参加者、または右翼活動家、および人権機関によって混沌となり、各集団によって叫ばれたスローガンは空気を震わせた。
それに対し警備側は数メートルおきに約3,000人の警官が沿道に配置されているという厳戒状態をとりデモ参加者を威圧したものの、中国・チベット側デモ隊双方は威嚇しあうに止まらず衝突を起こしたとされる。数に劣るチベット支持者側は大旗で隠され、あるいは暴行された目撃談が存在し、最終的に5人が逮捕・4人が暴動で負傷したと記録されるものの、実際に起きた暴行・傷害事例はそれに留まらず多数に上ると噂されている。
聖火ランナーの周囲はスポーツウェア姿の機動隊員5人と青いジャージを着た北京五輪組織委が派遣した聖火警備隊の中国人2人が取り囲み、白いトレーニングウェアと制服姿の警官約90人が伴走した。デモ隊の怒号、当初の予定よりは少ないものの周囲を囲む警備隊、及びその代わりとなった形の機動隊員に囲まれて走る聖火ランナーは異様な光景であり、長野市民は以前の長野オリンピックと対比して批判し、またランナーの野口みずきや萩本欽一は後にその体験への複雑な心境を吐露している。[162]
19番目の走者となった福原愛のときにはチベット国旗を持った亡命チベット人の男性が乱入したが、すぐに併走していた警官数人によって取り押さえられた。[163]また、11時10分頃には生卵を投げつけた日本人の男が威力業務妨害容疑で逮捕された。[162]デモ隊の衝突と合わせ、最終的に逮捕者は5人に上った。[164]
現地では当日チベット人支援者や警察官が中国人から暴行を受けていたとの証言が多数あったが、逮捕された中国人は1人も居ない。中国人による暴行が事実上黙認されたことについては「リレー参加者の無傷でのゴールを目標にしたため小競り合いを防げなかったことは否めないが、警察官への暴行については公傷を申請した警察官は1人も居ない」と長野県警察幹部が語っている[159]。
主要な報道機関は現地に居合わせたもののその混乱状況・デモ隊の行動を正確に報道したのか疑念を呈されている。現地でチベット側のデモに参加した日本人は現地の混乱状況の記録写真・映像を残しており、報道機関を介さない現場の記録として後にYouTube、ニコニコ動画等にアップロードされ、物議を呼んだ。