ドイツプール・ル・メリット勲章
プール・ル・メリット勲章( ⇒Pour le Merite)
青色の七宝焼き製であることと第一次世界大戦のエース・パイロットのマックス・インメルマンが受章したことから「ブルーマックス」とも俗称される。プロイセン王国時代のフリードリヒ大王が1740年に制定した由緒ある勲章で、第一次世界大戦のエース・パイロットのマンフレート・フォン・リヒトホーフェン(受勲時・中尉)など多大な軍事的功績を挙げた将校のみに贈られた、大鉄十字勲章と1級鉄十字勲章の間に位置付けられる武功勲章。プール・ル・メリット勲章受章者として有名な軍人は、ヘルマン・ゲーリング帝国元帥(受勲時・少尉)、エルヴィン・ロンメル元帥(受勲時・中尉)、そしてドイツの文豪の一人でもあるエルンスト・ユンガー大尉(受勲時・少尉)の名前が上げられる。第一次世界大戦の敗戦に際して廃止された。なお、「プール・ル・メリット」とはフランス語で「功績に対して」の意である。
フリードリヒ皇太子(後のフリードリヒ3世)中央に大鉄十字勲章、その上下にプール・ル・メリット勲章とプール・ル・メリット大十字章、向かって右上に2級、右下に1級鉄十字勲章とプール・ル・メリット大十字章星章を佩用ブリュッヘル星章
鉄十字勲章 Eisernes Kreuz
大鉄十字勲章および1級、2級鉄十字勲章はナポレオン支配の独立戦争時1813年にフリードリヒ・ヴィルヘルム3世が制定した武功勲章であり、以後、普仏戦争時(1870年)、第一次世界大戦時(1914年)及び第二次世界大戦時(1939年)に再制定されて多数の将兵に授与された。また、 ⇒星章がナポレオン戦争と第一次世界大戦時に、特に功績のあった大鉄十字勲章受章者に授与された。勲章名は各受章者名を冠して呼ばれており、ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル元帥のBluchersternとパウル・フォン・ヒンデンブルク元帥のHindenburgsternがある。第二次世界大戦時には、大鉄十字勲章と1級鉄十字勲章の間に位置付けられる騎士鉄十字勲章( ⇒Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)も制定された。なお第二次世界大戦中期以降には士気高揚のため相当数の1級および2級鉄十字勲章が乱発されたと伝えられている。また武功勲章とは言うものの、「武功」の判断基準はかなり恣意的、あるいはプロパガンダ的な要素が強かったとも考えられる。著名な女性パイロットであるハンナ・ライチュ(テストパイロットとして戦闘機に搭乗したことはあるが、実戦経験は無し)や東部戦線やアフリカ戦線に従軍したドイツ赤十字社の従軍看護婦が(後述の戦功十字勲章ではなく)鉄十字勲章を授与されているという実例が存在しているのがその証左と言えよう。騎士鉄十字勲章には最初は「?付き」と言うものは無く、単純に2級鉄十字勲章→1級鉄十字勲章→騎士鉄十字勲章→大鉄十字勲章という序列だったが、戦争の長期化に伴って、騎士鉄十字勲章には上位の柏葉付騎士鉄十字勲章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)、柏葉・剣付騎士鉄十字勲章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub und Schwertern )、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub, Schwertern und Brillanten)、金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit goldenem Eichenlaub, Schwertern und Brillanten )が制定された。金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章の受章者は12人と定められていたが、授与されたのはハンス・ウルリッヒ・ルーデル一人であった。また、第二次世界大戦で大鉄十字勲章を授与されたのはヘルマン・ゲーリングのみである。山本五十六は、柏葉・剣付騎士鉄十字勲章を授与された唯一の外国人である(ただし、戦死後の追贈)。鉄十字勲章は戦時下にのみ授与される勲章であるため、戦後の授与者は存在しない。ただし、第二次世界大戦中に授与された者で戦後にドイツ連邦軍(戦後の西ドイツ軍)に入隊した者は引き続き着用することが認められた。この場合は勲章の中央に刻印されているハーケンクロイツが柏葉に置き換えられた「戦後型」と呼ばれる物が着用されることとされた。