皇帝号はファーストエンペラー・始皇帝に始まり、ラストエンペラー・宣統帝溥儀[7]まで続く。その間、中国において皇帝が存在しなかった時代はなく、名目的には権力は全て皇帝に帰属するものと考えられていた。すなわち「皇帝」の創始は中国史において極めて重大な画期であった。
皇帝とは『史記』「秦始皇本紀」においては三皇五帝の一人の泰皇の皇と五帝の帝を合わせたものとされており、それまでの最高位であった王の上に立つ地位である。このことは郡国制において王を皇帝が支配するということの論理的正当性を与えるものである。
その一方で漢代においては天子の称号も使われている。天子はそのまま天帝の子を示す言葉であり、王の上である皇帝からすれば一段下がる言葉のはずである。王の称号を使っていた周代においても天子の語は使われている。
その間の差はどのようなものであったか、このことを説明する『孝経緯』(『孝経』に対する緯書。緯書に付いては#神秘思想にて後述)には「上に接しては天子と称して、爵をもって天に事え、下に接しては帝王と称して、以って臣下に号令す。」とある。つまり天に対しては天子であり、民衆・臣下に対しては皇帝なのである。
そして、この使い分けは現実の場面においては、国内の臣下に対してと国外の外藩に対しての称号として現れる。国内の臣下(内臣)に対しての文書には「皇帝の玉璽」が押され、国外の外藩(外臣)に対する文書には「天子の玉璽」を押している。
漢の官制において、共通する文字は同じ意味を表す。
令は長官を表す。郎中令あるいは県令など。丞は補佐・次官を表す。例えば丞相は皇帝を補佐し、県丞は県の副長官である。史は文書業務を担当する官のこと。尉は軍事関連の官。太尉・中尉など。
漢制においては官僚の等級は二千石・六百石などと表される。この数字は以前は俸禄の数字そのままであったが、漢代においてはあくまで等級を表すものに過ぎない。等級に含まれる主な官は以下の表の通り。このうち、八百石と五百石は前漢末期に廃止。
官秩万石中二千石二千石比二千石千石比千石八百石六百石比六百石五百石四百石比四百石三百石比三百石二百石比二百石百石
実際の官三公・大将軍九卿郡守・内史など郡尉・中郎将など三公の丞太中大夫など 太史令など博士・議郎・中郎など 県丞など侍郎など 郎中など県尉など
俸禄[8]月350斛1801201009080 7060 50454037302716
漢の中央官制は三公の下に九卿[9]と呼ばれる諸部署が配置されている。この三公九卿はその役割において大きく二つに分類される。一つは政府の中心として全国を統治するための機関であり、もう一つは国家機関というよりも皇帝とその一族の家政機関としての役割を持つものである。前者に分類されるのは以下のようなものである。
丞相→相国(紀元前196年)→左・右丞相(紀元前194年)→丞相(紀元前178年)→大司徒(紀元前1年)
民政を中心とした政治の最高職であり、皇帝を助けて万機を総覧する。実際においては朝議を主宰し、その朝議の結果を皇帝に上奏し、認可を得て行政化する。また自らの官衙である丞相府を率いる。その員数は多いときで400近くにまでなった。
御史大夫→大司空(紀元前8年)→御史大夫(紀元前5年)→大司空(紀元前1年)
御史大夫は丞相を助けるいわば副丞相である。御史府を率い、政策の立案を行い、それを丞相に伝える役割を負う。また属官の御史中丞は官僚の監察を行う。
太尉→廃止(紀元前129年)→大司馬(紀元前119年)→大司馬将軍(紀元前119年/大司馬は将軍位に付される称号のようなもの)→大司馬(紀元前8年/将軍位に付かない独立した官位)→大司馬将軍(紀元前5年)→大司馬(紀元前1年/将軍位に付かない独立した官位)
太尉は軍事を司る役職である。
治粟内吏→大農令(紀元前143年)→大司農(紀元前104年)
国家財政を司る。農業の管理、税の徴収および管理、官僚の俸給、経済政策の実施などが管轄である。
廷尉→大理(紀元前144年)→廷尉(紀元前135年)→大理(紀元前1年)
廷尉は法の執行を司る。全国的な刑罰を行い、地方の郡県の司法官の権限を越える刑罰をも行う。
典客→大行令(紀元前144年→大鴻臚(紀元前104年)
典属国(紀元前28年に大鴻臚に吸収合併される。)
典客は諸侯および地方官らが上京した時の相手を担当し、典属国は外藩の相手を担当する。
これに対して後者(皇帝の家政機関)に分類されるものは以下のようなものである。
少府
少府は治粟内史が国家財政を司るのに対して帝室財政を司るものである。それに加え、機密文書・後宮などの管理も行う。後者に属する官の中でも最重要であり、その属官も多い。機密文書を取り扱う尚書(尚書令・尚書僕射)、宮中の医療を取り扱う太医令、食事を取り扱う太官令など。
水衡都尉
紀元前123年に少府より分離して設立。貨幣の発行などを司る。
郎中令→光禄勲(紀元前104年)
郎中令は主に皇帝の身辺警護を扱い、それ以外の皇帝の身辺に関することも扱う。
衛尉→中大夫令(紀元前156年)→衛尉(紀元前142年)
中尉→執金吾(紀元前104年)
衛尉は宮中警備・防衛、中尉は首都長安の警備・防衛。
太僕
皇帝の車馬及び軍馬等の管理。30万頭もの馬を養っていたという(『漢官儀』)。
宗正→宗伯(4年)
皇族(宗室)および外戚に関する全てを扱う。