大臣官房秘書官、人事課、文書課、会計課、都市計画課
神社局書記室、総務課、考証課
地方局書記室、庶務課、行政課、財務課、事務官室
警保局書記室、警務課、防犯課、保安課(庶務係、文書係、右翼係、労働農民係、左翼係、内鮮係、外事係)、図書課(庶務係、著作権出版権登録係、検閲係、レコード検閲係、企画係、納本係、保安係、調査室)
土木局書記室、河川課、道路課、港湾課、第一技術課、第二技術課
衛生局書記室、保険課、予防課、防疫課、医務課
社会局庶務課(秘書係、文書係、会計係、図書室)労働部書記室、労政課、労務課(労働者災害扶助責任保険係)、監督課保険部書記室、規画課、監理課、組合課、医療課社会部書記室、保護課、福利課、職業課
沿革
明治維新の際、律令制を基本として省が設置された。当初、内政は民部省が扱うものとされたが、財政と徴税機構の一体化のために大蔵省に吸収合併されると、以後は内政を専門に管理する官庁がなく、その政務をめぐって大蔵省と太政官や他の省が争っていた。
1873年征韓論がきっかけとなった政変(明治6年の政変)を機に大久保利通が主導して太政官の下に「内務省」を新設。みずから内務卿となった。
その後大蔵省、司法省、工部省から、戸籍、土木、駅逓、地理、勧農、警察、測量などの業務が「内務省」に移され、検閲機能も加えて、地方行政と治安維持を担当する体制が整えられた。
1874年には郵政事務が内務省の管轄となったが、1885年に農商務省へ移管。
1877年廃止された教部省の所管を引き継ぎ、社寺局を設置。宗教政策も管轄する。
1884年、地理局が所管していた大三角測量業務を参謀本部の管轄に移管、以後地理局は地誌編纂を主な業務とすることとなった。
1885年の内閣制実施で内閣に属するようになり、山縣有朋が初代大臣となった。内務省は、全国の府県知事などの高官の任免権を握り、地方行政の中核を担った。
1890年に鉄道庁が内務省の外局となるが、1892年に逓信省に移管。
1900年、社寺局を、神社局と宗教局に分割。前者は、国家神道政策を司ることとなる。
1911年、「大逆事件(幸徳事件)」を機に内務省警保局保安課の下の警視庁に特別高等警察、いわゆる「特高警察」を置いた。
1913年に宗教局を文部省へ移管。
1920年、労働運動、農民運動の高まりを受け、社会局を新設。
1924年、前年の関東大震災を受けて内閣に設置された帝都復興院を縮小し、内務省に復興局設置。
1925年、治安維持法公布。
1933年、ゴーストップ事件。
1937年、内閣情報局と内務・文部両省を計画主務庁として、国民精神総動員運動開始。
1938年、衛生局と社会局が厚生省として分離独立。国家総動員法制定。
1940年、大政翼賛会発足。地方長官は翼賛会の地方支部長を兼ね、地方自治体の末端組織・翼賛体制の下部組織として部落会・町内会の組織化が進む。
1941年、土木局・計画局(大臣官房都市計画課の後身)を国土局・防空局に改組。
1942年、拓務省廃止により、外地に関する事務が内務省に移管。
1943年、港湾事務を運輸通信省に移管。東京に都制施行。
1945年、防空事務・政府による検閲・特別高等警察などを廃止。
1946年、連合国軍総司令部(GHQ)によって内務省幹部や警察・特高警察関係者などの公職追放が命じられる。前年の神道指令を受け国家神道を統括した神祇院(神社局の後身)を廃止、都道府県知事は公選制となる。また、占領目的に反する軍国主義的、国家主義的団体を取り締まる必要から、GHQは内務省に調査局を設置、右翼団体などの調査・解散指定を行わせた。
1947年、GHQにより内務省が解体される。地方局の業務は全国選挙管理委員会・地方財政委員会・総理庁官房自治課などに分割、警察機構は国家地方警察及び自治体警察に分権化され、警察の民主的管理・政治的中立性確保のための制度として新たに公安委員会制度が採用された。国土局の業務は建設院(のち建設省に改称)に、調査局の業務は法務庁特別審査局に継承された。また、労働行政については、厚生省から分離された労働省が司ることとなった。
1950年、北海道開発庁設置。
1950年頃より、いわゆる「逆コース」によって公職追放解除となった者たちが復権し叙勲された。
1952年、公安調査庁設置。
1954年、国家地方警察を廃止し、警察庁を設置。