多くの民主主義国の政府が、六四天安門事件における中国共産党による武力弾圧についての声名を発表した。日本やアメリカ合衆国、中華民国やフランス、西ドイツなどの民主主義国は、武器を持たぬ市民への「虐殺」とも言える武力弾圧に対して譴責あるいは抗議を発表し、ほとんどの当時の西側主要国が懸念、遺憾の意を示している。「遺憾の意」を示した国には、ベトナムのような社会主義国や、タイのような華僑の多い中華人民共和国の友好国も含まれている。なお政府与党ではないが、日本の日本共産党もこの事件を批判し、結果中国共産党と5年間にわたって断交している。ポーランドのヴロツワフに建立された慰霊碑
同時に多くの国が中国共産党による武力弾圧に対して抗議の意を示すため(と団員の安全を確保するため)に在中華人民共和国の外交団の撤退を始めたほか、ヨーロッパ諸国は対中兵器輸出を禁止するなど、多くの主要国が最恵国待遇の停止や武器輸出の停止などの条件付、もしくは無制限の交易の停止を発表した。また、世界銀行による中華人民共和国への融資の停止も行われた。
その後、「譴責」や「抗議」を行った国を含めて、ほとんどの国が時期をおいて中華人民共和国との外交関係の回復を行ったものの、この事件が中国共産党の一党独裁国家である中華人民共和国及び中国共産党そのものの異常性を示す例であるとして、その後の西側諸国を中心とする諸外国における同国の評価を下げる大きな原因の1つとなった。
2007年6月1日にアメリカ国務省のトム・ケーシー副報道官が、「民主化運動(六四天安門事件)に参加した」ことを理由に現在も身柄を拘束されている人々を釈放し、併せて事件の再調査を行うように中国共産党に要請した [15]。
一方、ベルリンの壁やシュタージなどによって同じく自国民を圧政下に置いていた東ドイツ政府が、公式に中国共産党による武力弾圧を支持したほか、悪名高い開発独裁で有名なシンガポールの独裁者のリー・クアンユーも、個人的に「自分も同じ事をしただろう」という言葉を残している。
また、華僑が多く、中華人民共和国と微妙な関係下にあるフィリピンやインドネシアは、事件について直接コメントせず、「(内政のことなので)事件は中華人民共和国と自国とのあらゆる関係に対して影響を及ぼさない」と発表した。
脚注^ 『チャイナハンズ-元駐米国大使の回想』ジェームズ・R・リリー著 西倉一喜訳(草思社 2006年)p.289
^ 『北京特派員』信太謙三著(平凡社新書 1999年)P.44
^ 『チャイナハンズ-元駐米国大使の回想』ジェームズ・R・リリー著 西倉一喜訳(草思社 2006年)p.291
^ 『天安門文書』張良著(文藝春秋 2002年)
^ 『北京の長い夜―ドキュメント天安門事件』ゴードン トーマス著 吉本晋一郎訳(並木書房 1993年)
^ SAPIO(2002/04/10号)特別図解『李鵬[4月来日]の「天安門流血粛清」全手口を暴く/惠谷治』
^ 『天安門文書』張良著(文藝春秋 2002年)
^ 『チャイナハンズ-元駐米国大使の回想』ジェームズ・R・リリー著 西倉一喜訳(草思社 2006年)p.313
^ 『北京の長い夜―ドキュメント天安門事件』ゴードン トーマス著 吉本晋一郎訳(並木書房 1993年)
^ 『中国における人権侵害―天安門事件以後の情況』 アムネスティ・インターナショナル アジア・ウオッチ著(1991年)矢吹晋、福本勝清訳
^ ⇒[1]『国防部部長・遅浩田が訪米した際に、「天安門広場で誰一人が殺されなかった」と発言』
^ 『中国における人権侵害―天安門事件以後の情況』 アムネスティ・インターナショナル アジア・ウオッチ著(1991年)矢吹晋、福本勝清訳』
^ 「IT Media news」 2004年6月15日 ⇒http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0406/15/news055.html
^ 『「風化させるな」天安門事件18周年、香港で追悼集会』朝日新聞 2007年6月4日 ⇒http://www.asahi.com/world/china/news/TKY200706040397.html
^ 『米政府、天安門事件の活動家釈放を要請』AFP 2007年6月2日 ⇒http://www.afpbb.com/article/politics/2233499/1645982
参考文献
張良 『中国六四真相』 (明鏡, 2001年) ISBN 962-8744-36-4
外部リンクウィキメディア・コモンズには、 ⇒六四天安門事件 に関連するマルチメディアがあります。
⇒関連写真集(英文。残虐なものがあるので注意)