上記の様に、西側諸国だけでなく東側諸国を含む世界各国ではこの事件は大きな驚きと怒りをもって報道されたものの、中華人民共和国の国内においては、事件後には平常時にも増して報道管制が強化されたため、事件に対する詳細な報道は殆ど行われなくなった[9]。しかも、最終的に事態を掌握した強硬派とその一派がその後現在に至るまで実権を握り続けているために、中国共産党によるこの事件に対する反省や謝罪の姿勢の表明だけでなく、この事件に対する検証的な報道はこれまで殆ど行われていない[10]。
遅浩田国防部部長は1996年にアメリカを訪れた際に、「天安門広場では1人も殺されなかった」と発言[11]し、世界各国から反発を受けたほか、日本を含む多くの国において、中国共産党の御用ジャーナリストを使って「虐殺は存在しない」、「死者は数人にすぎなかった」、「負傷者は1人もいなかった」などの、自らの行った正式報告さえ翻すような極端に歪曲された内容のプロパガンダ を垂れ流し続けている[12]。
一部の中華人民共和国国内のサイトの検索エンジンでは、「六四天安門事件」などの特定のキーワードで検索すると接続不可能になるといった規制や(Yahoo!やGoogle、MSNなど)、この事件についての記事が存在する「ウィキペディア」に対する接続規制が2004年の6月4日(天安門事件の記念日)前後に行われたりしたこともある。[13] など、事件から18年経った現在も政府ぐるみでの事件の隠匿が行われている。そのため、本件以降に学校教育を受けた世代は事実を殆ど知らず(知っているとしても暴徒が軍を襲ったための自衛行為という程度)、海外に出て初めて知らされるという傾向にある。[要出典]
結果、中華人民共和国国内の民主化運動は一気に下火となるが、本件で中国共産党に失望し、決別した活動家は多く、石平をはじめとした活動家が海外で活動を続けることになる。
全世界で六四天安門事件に最も早く反応したのは、当時イギリスの植民地であるものの、その住人のほとんどが華僑で、中華人民共和国への「返還」を8年後に控えた香港である。このような非民主的な行為をする中国共産党に抗議デモが起こった。
1989年6月5日には、香港のほぼすべての学校や企業、政府機関が公式に譴責・哀悼を行っており、たとえば学校では、小学校なども含んで校長や教師が泣きじゃくりながら声明を読み上げ、学生を率いて黙祷をしている。テレビやラジオ、新聞、雑誌などのメディアもこれを報道している。おそらく中国共産党に打撃を与えるためか、6月5日の早朝に、香港全土にある中国銀行グループの各銀行から、一日のうちに50億香港ドルが引き出されている。また後述のように香港市民に海外移住者が増え、香港企業も海外に本社を移転する動きも出た。
同日に香港の議会が、武力鎮圧に対する譴責を全員賛成で採択。その宣言は中華人民共和国への「返還」後の今でも撤回しておらず有効であり、香港と中国共産党の基本的な政治思想の差を示している。なお、事件を契機に、香港市民支援愛国民主運動連合会が結成され、今なお中華圏最大の民主化運動組織として活動しており、香港がイギリスより中華人民共和国へ返還され、事件後20年近くが経った2007年6月4日にも同組織によって事件で犠牲になった学生らを悼む集会が香港島で開かれ[14]、5万5千人の参加者を集めた。
また、結果的に香港人のカナダやオーストラリアなどのイギリス連邦諸国やアメリカなどへの移住ブームを本格的に始動させた事件となったが、その後、宗主国のイギリスと中華人民共和国の間で結ばれた「返還後50年間は現状維持」の方針を受けて、「返還」後に中国共産党からの言論の締め付けなどがあるにもかかわらず、かろうじて政治的に安定している香港を評価して、多くの移民が香港に戻った[要出典]。
だがこの事件は、1997年以降の香港憲法にあたる、香港基本法の起草委員の多くが委員を辞退したことや、「中国全国人民代表大会」の香港代表が「六四事件が香港の人々の心を大きく傷つけた」と発言したことなどが象徴するような、現在の香港人の中国共産党に対する不信感の原点とも言われる。この影響で2008年の北京オリンピックの聖火リレーでも中国共産党への抗議が起きている。
多くの民主主義国の政府が、六四天安門事件における中国共産党による武力弾圧についての声名を発表した。日本やアメリカ合衆国、中華民国やフランス、西ドイツなどの民主主義国は、武器を持たぬ市民への「虐殺」とも言える武力弾圧に対して譴責あるいは抗議を発表し、ほとんどの当時の西側主要国が懸念、遺憾の意を示している。「遺憾の意」を示した国には、ベトナムのような社会主義国や、タイのような華僑の多い中華人民共和国の友好国も含まれている。なお政府与党ではないが、日本の日本共産党もこの事件を批判し、結果中国共産党と5年間にわたって断交している。ポーランドのヴロツワフに建立された慰霊碑
同時に多くの国が中国共産党による武力弾圧に対して抗議の意を示すため(と団員の安全を確保するため)に在中華人民共和国の外交団の撤退を始めたほか、ヨーロッパ諸国は対中兵器輸出を禁止するなど、多くの主要国が最恵国待遇の停止や武器輸出の停止などの条件付、もしくは無制限の交易の停止を発表した。また、世界銀行による中華人民共和国への融資の停止も行われた。
その後、「譴責」や「抗議」を行った国を含めて、ほとんどの国が時期をおいて中華人民共和国との外交関係の回復を行ったものの、この事件が中国共産党の一党独裁国家である中華人民共和国及び中国共産党そのものの異常性を示す例であるとして、その後の西側諸国を中心とする諸外国における同国の評価を下げる大きな原因の1つとなった。
2007年6月1日にアメリカ国務省のトム・ケーシー副報道官が、「民主化運動(六四天安門事件)に参加した」ことを理由に現在も身柄を拘束されている人々を釈放し、併せて事件の再調査を行うように中国共産党に要請した [15]。