選挙
連立を組む自民党との選挙協力で、自民党の候補者が自らの選挙区で、「比例は公明党へ」と 呼びかけるという選挙戦術を取るが、これには批判もある。
中選挙区制の復活を提唱。1999年の自民党・自由党との連立政権合意事項の中に中選挙区制復活の余地を残す文言が盛り込まれた[33]。
草創期から創価学会と一体となった活動から、憲法に定めた「政教分離原則」に反した“政教一致”だという批判があり、1970年以降の制度的分離を行なって以降も、同様な批判は根強くある。
1959年の参議院選挙の際に池田大作は「最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは必然でなくてはならぬ。」、「(日蓮)大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには関所ともいうべき、どうしても通らねばならないのが創価学会の選挙なのでございます」と述べており、[34]1955年には「富士の山麓に国立戒壇を設け、日蓮正宗を国教にすることだ。そのためには二十年後には国会議員の過半数を占めなければならない。」(『聖教新聞』1955年4月17日)と述べている[35]。
政教分離を明言した1970年5月3日の池田会長(当時)の 講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく」、「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない」、「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援』をする」ことなどの方針を明らかにした。同年の党大会では政教一致を意味すると見られてきた「王仏冥合」という言葉を党綱領から削除した。
公明党の元委員長の竹入義勝は1998年9月、『朝日新聞』に連載した回顧録、『秘話・55年体制のはざまで』において、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。」、「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた」、「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。」などと述べた[8]。この連載の直後、機関紙「公明新聞」で『竹入義勝の謀略と欺瞞』と題する連載で反論と竹入批判を始めた[8]。
1993年、細川内閣発足前日に池田名誉会長が公明党が大臣ポストを獲得した[36]ような発言をしたことで、池田名誉会長が与党の人事にまで影響力を及ぼしているのではと国会で問題となる[37][38][13]。
羽田孜連立内閣で総務庁長官を務めていた公明党委員長の石田幸四郎は国会で、公明党の最高人事は池田名誉会長の意向、指示で決まるのかとの質問に、「公明党の人事は公明党でやっており、池田からの指示はない」、「人事、政策というのは党大会を通して決める」と答弁した[39]。
内閣法制局は「政教分離原則は宗教団体が政治的活動をすることを規制しているものではない」旨の答弁をしている[40]。
選挙期間になると、創価学会信者が組織的に選挙活動に動員され、創価学会の関連施設が活用されることに対し、国会で幾度か問題視されたことがある[41]。
1999年7月12日、自民党官房長官(当時)、野中広務が「公明党は政教分離した政党として脱皮しつつある」と記者会見で発言[24]。
創価学会の池田大作名誉会長は、マハトマ・ガンディーらなどの言葉を引用し、「政治と宗教が切り離されてしまえば、政治は壊れていく。」という趣旨の言葉を、創価学園の卒業式で発言している。
公明党は近年、フェミニズム男女参画勢力との関係を強めている。内閣府男女共同参画局や各自治体の男女共同参画課の施策に対して、巨額の予算(国政だけで10兆円を超える)を獲得することに主導的な役割を果たしており、連立政権を組む自民党に対し何らかの譲歩をした場合、その見返りとして、多くの場合真っ先にフェミニズム関連予算の増額を要求している。また政策においても内閣府男女共同参画局や各省庁からの出向メンバーによるフェミニズム関連の政策を強力に後押ししている。さらに、人権擁護法を同和関係者やフェミニズム勢力と合同起草した経緯があり、その法案成立に向けて画策している。
その他の問題
2000年夏、東京都内の公明党所属の区議会議員が区議会において、公明党と創価学会の批判を載せている雑誌の排除を要求していたことが明らかになり問題となる。大田区議会では2001年3月13日、「週刊誌は人のことを中傷している」、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい」として「『週刊新潮』、『週刊文春』、『文藝春秋』を大田区の全図書館から排除してもらいたい」と要求した[15]。中央区では、同年3月の区議会で、区立図書館に公明党と創価学会を批判した本が多数あることに言及し、図書の選定を問題にし、「図書館の職員の適切な人事異動をしていただきたい」と要求した。4年前の1997年3月7日にも別の公明党の区議が区議会で「図書館、区の施設、待合室、ロビーなどに置いてある暴力的、人権侵害の週刊誌はき然として排斥するべきだ」と求め、中央区は出版社系雑誌の購入を止め、雑誌コーナーを失くしていた。[42][43][44]
エピソード
“公明党”という党名は池田大作が愛読していた『三国志』に出てくる諸葛孔明の「孔明」の音にちなんでいる。