八田與一
無料のエ○本?高画質
動画も対応オススメ!

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


台湾総督府復帰?殉職

その後與一は台湾総督府に復帰し、勅任技師として台湾の産業計画の策定などに従事した。また対岸の福建省主席の陳儀の招聘を受け、開発について諮問を受けるなどしている。しかし、太平洋戦争さなかの昭和17年(1942年)5月、與一は調査のため長崎からフィリピンにむかったが、その途中、乗っている船が五島列島付近でアメリカ潜水艦に撃沈され、與一自身も死亡した。與一が死去し、日本が戦争に敗れた後の昭和20年9月1日、與一の妻外代樹も彼の後を追って烏山頭ダムの取水口に投身自殺した。


八田與一の評価

日本よりも、彼が実際に業績を挙げた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に與一の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは與一の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。また、現在烏山頭ダムにある與一の銅像はダムの完成後の昭和6年(1931年)に作られたものであるが、中華民国蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際には、地元の有志によって隠され、昭和56年(1981年)になって再びダムに設置されるようになった。このように與一が顕彰される背景には、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、彼の人柄に属する問題も大きく、エピソードも多く残されている。

現在でも中学生向け教科書『認識台湾 歴史篇』に八田與一の業績は詳しく紹介されている。平成16年(2004年)末に訪日した李登輝前台湾総統は(農業経済学者でもある)、與一の故郷金沢へ訪問したことは記憶に新しい。

日本においては、土木・水利研究者を除いてあまり知られていないが、近年では司馬遼太郎の『街道をゆく』や小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』などで取り上げられている。

2007年5月21日に陳水扁総統は八田與一に対して褒章令を出した。 また馬英九次期総統も、2008年5月8日の烏山頭ダムでの八田與一氏の慰霊祭に参加した。


参考図書

司馬遼太郎1994「八田與一のこと」『街道をゆく四十 台湾紀行』朝日新聞社、281?293ページ。


司馬遼太郎1994「珊瑚潭のほとり」同上所収、295?306ページ。


まつだ しょういち著、たにうち まさと(イラスト)2007『よいっつぁん夢は大きく‐台湾の「ダムの父」・八田與一』(ふるさと偉人絵本館4)、北國新聞社出版局。ISBN 978-4833015653


外部リンク

『認識台湾 歴史篇』の中華民国教育部による指導案(繁体中国語、ややわかりにくいが、與一の業績が紹介されている)


『[台湾最大の穀倉地をつくった八田與一』大事業「嘉南用水路(嘉南大しゅう)」

大成建設週刊文春に連載しているコラム「立ち話」で八田與一が取り上げられている。(大成建設のサイトより)

[ ⇒http://www.taisei.co.jp/1168584033044.html 風台湾に水を引いた神・八田與一(1)(05年09月08日号掲載)


[ ⇒http://www.taisei.co.jp/1168584033017.html 風台湾に水を引いた神・八田與一(2)(05年09月15日号掲載)


[ ⇒http://www.taisei.co.jp/1168584032990.html 風台湾に水を引いた神・八田與一(3)(05年09月22日号掲載)
カテゴリ: 日本統治時代の台湾の人物 | 日本の技術者 | 石川県出身の人物 | ダム | 日本のダム | 1886年生 | 1942年没

更新日時:2008年8月29日(金)14:52
取得日時:2008/10/08 17:32


話題の着エロボイス!
今なら無料ダウンロード♪

[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki