海外
アメリカ合衆国ワシントン州フェデラルウェイ市
1993年(平成5年)8月1日姉妹都市締結 教育・文化・経済・スポーツ・青少年の各分野の交流
アメリカ合衆国ワシントン州タコマ港
1995年 八戸港とタコマ港の間で「経済貿易協定」締結(姉妹港となる)
フィリピンマニラ港
2000年 八戸港とマニラ港が姉妹港となる
八戸市は、北奥羽地方の商業・交通等の中心都市として発展してきた。さらに海路の発達や、港湾の修築等、産業都市として発展することが予想されていたことから、1931年(昭和6年)12月都市計画法適用の指定を受け、1933年(昭和8年)10月の都市計画区域決定をした。その際、地理的状況を勘案して八戸市の他に大館村の一部、館村の一部を含めて決定した。
戦後
八戸市の行政区は昭和の大合併で隣接村を吸収して大きく拡大した。この頃、人口の増加により全国で市街地のスプロール化が問題となり、1969年(昭和44年)の新都市計画法施行された。これにより八戸市は新しく都市計画区域を策定することになった。これにより、八戸市のほか、上北郡おいらせ町(旧百石町及び旧下田町)の一部を含み、八戸都市計画区域を指定した。2007年(平成19年)3月現在、区域面積は全体で、約24,696ha。そのうち八戸市では約21,404ha。おいらせ町では約3,292haである。 平成12年度の国勢調査によると、市街化区域内の人口は199,588人で(市全体の82.5%)である。この八戸都市計画区域は青森県で一番大きい面積となっている。[19] [20]
八戸市の都市計画区域は人口の増加とともに拡大を続けてきた。
決定(変更)年月日都市計画区域市街化区域市街化調整区域
1971年(昭和46年)3月20日21,248ha4,435ha16,813ha
1977年(昭和52年)12月27日21,362ha4,958ha16,404ha
1984年(昭和59年)8月16日21,362ha5,301ha16,061ha
1991年(平成3年)11月29日21,337ha5,390ha15,947ha
1995年(平成7年)4月26日21,337ha5,579ha15,758ha
1997年(平成9年)9月12日21,358ha5,650ha15,708ha
1999年(平成11年)5月26日21,397ha5,747ha15,650ha
2002年(平成14年)5月14日21,404ha5,774ha15,630ha
居住地域
住宅地
根城
中世の城跡があり、裁判所、司法会館、博物館が立地、中心市街地から近距離である。
八戸ニュータウン
地域振興整備公団が整備した新興住宅地
類家
1980年代に区画整理が実施され、八戸市立市民病院が近隣の田向地区に立地しているため医療施設が集積している。
旭ヶ丘団地
1962年に全国に先駆けて近代的なモデル団地として建設された。市営バス旭ヶ丘営業所が立地している。[21]
小中野
八戸線沿線の地域で古くからの住宅地、八戸港に近いことから水揚げ量日本一を記録した昭和30年代には歓楽街・繁華街だった。旧八戸町に属する。最寄り駅は小中野駅。
陸奥湊
八戸線沿線の地域で古くからの住宅地、八戸港が目の前にあり陸奥湊駅周辺は魚市場が軒を連ね、観光地として注目されている。旧八戸町に属する。
白銀
八戸線沿線の地域は古くからの住宅地。1961年(昭和36年)の白銀大火で1403棟が全焼した。[22]その後復興が進み、新たに4車線の都市計画道路が完成した。最寄り駅は白銀駅
鮫
八戸線の鮫駅があり、古くからの港町である。八戸港が目の前にあり蕪島などの観光地スポットがある。旧八戸町に属する。
下長
昭和40年代までは、農業の中心であったが1974年(昭和49年)の下長地区石堂土地区画整理事業によって宅地化された。1975年(昭和50年)頃、市営河原木団地建設されて、人口は3万人に増加した。近隣には、八食センターが立地している。[23][24]
インフラ整備の状況
下水道普及率:43.3%(平成19年度末)[25]
大学・短期大学
私立(アイウエオ順)
八戸工業大学
八戸大学
八戸短期大学
専門学校
八戸社会福祉専門学校
八戸理美容専門学校
八戸調理師専門学校
八戸看護専門学校
アレック情報ビジネス学院
高等専門学校
国立・独立行政法人
八戸工業高等専門学校