全日空の成長の過程で特徴的な事として、総代理店制度の採用が挙げられる。これは、日本の航空輸送事業の黎明期に、各就航地の有力企業と提携し、航空会社の業務のうち、市内業務(営業活動)と空港業務(ハンドリング業務)を委託するという画期的な制度であった。委託業務は、市内では航空券販売・電話予約センター・また代理店販売促進活動や団体営業、空港では旅客ハンドリング・貨物ハンドリングから、機側における各種業務や機内清掃まで、幅広い業務がある。
総代理店の主な会社は、「北海道地区」では、三ツ輪運輸(釧路・女満別)、道北バス(旭川)、函館エアサービス(函館)、「東北地区」では日本通運(仙台・秋田・山形)、庄交コーポレーション(当初は庄交航空、庄内)、「中部地区」では北陸鉄道(小松)、富山地方鉄道(富山)、新潟交通(新潟)、「中国・四国地区」では両備ホールディングス(岡山)・中国ターミナルサービス(CTS)(広島)、サンデン交通(山口宇部)、日ノ丸自動車(鳥取・米子)、高松商運(高松)、土佐電気鉄道(高知)、「九州地区」では九州産交ツーリズム(熊本)、長崎空港ビル(長崎)、大分航空ターミナル(大分)、宮崎交通(宮崎)、南国交通(鹿児島)等が挙げられる。
就航当初は、大阪(阪神電気鉄道)・福岡(西日本鉄道)・松山(伊予鉄道、2005年度まで)・名古屋(名古屋鉄道、2007年6月まで)も総代理店地区であった。名古屋地区に関しては、名古屋鉄道との総代理店契約終了後も2008年6月まで名鉄駅構内(名鉄名古屋駅、金山駅)に全日空の自動チェックイン機が設置されていた。松山地区は伊予鉄道がカード事業で日本航空との提携を進めた事で総代理店契約を解除となった。
総代理店は大口の株主にもなり、名古屋鉄道は長らく全日空の筆頭株主であった。その関係で名古屋鉄道と宮崎交通は全日空の社外取締役を輩出、名鉄は現在まで継続している。全日空と総代理店が共同で航空需要の開拓をしてきたが、昨今では予約のインターネットへの移行等で総代理店の業務も変わってきている。
その後も国際線チャーターに進出するなど順調に成長を続けたものの、1976年に行われたアメリカ上院における公聴会によって明るみになった、全日空のロッキードL-1011トライスター導入に絡む疑獄事件である「ロッキード事件」では、ロッキードの代理人として動いていた大物右翼の児玉誉士夫による不正工作を受けてL-1011トライスター機の導入を進めるために、大庭をM資金に絡むスキャンダルで追い落として1972年に社長の座に就いた元運輸省事務次官の若狭得治をはじめとする経営陣から逮捕者を出したばかりか、ロッキードから児玉や政商の小佐野賢治を通じて流れ込んだ5億円を受け取った容疑で田中角栄元首相他多数の政財界人が逮捕されるなど、日本の政財界を揺るがす大疑獄事件の舞台となってしまった。
全日空はこの事件によって、日本の航空会社で唯一、航空事故以外で社長が逮捕され有罪判決を受けたという特異な経歴を有する会社になってしまったが、若狭はその後名誉会長になった挙句、長年「全日空のドン」として居座り続けたために社会的に大きな非難を浴びた。
国際線への進出全日空L-1011トライスター(中央)
設立当初より国内線が主軸であったが、当時の運輸省の指導により日本航空は国際線と国内線幹線を、全日空は国内線幹線とローカル線・国際線チャーターに運航を制限された「45-47体制」の崩壊を契機に、1986年より国際線定期便の運航を開始した。最初の路線はL-1011トライスター機の運行によるグアム線だった。
1986年にアメリカロサンゼルス線とワシントンDC線をボーイング747-200B型機で就航させ、国際線就航1年を待たずしてアメリカ本土進出を果たした。翌年は現在の中華人民共和国への充実した路線ネットワーク拡大の足がかりとなる北京・大連・香港線を開設、同年10月には初の赤道越えとなるシドニー線を開設した。