代表校は原則として各府県1校ずつ、北海道は南北海道・北北海道で2つに分けた2校、東京都は東東京・西東京で2つに分けた2校の合計49校。6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会で勝ちあがった学校が出場できる。大会は地方大会、全国大会ともにすべてノックアウトトーナメントで開催される。1977年までは学校数の少ない府県は2つで1つの代表を選出していた。
全国高等学校野球選手権地方大会および 消滅した全国高等学校野球選手権地方大会の一覧も参照
1敗も許されないトーナメント方式の予選を勝ち抜くことは非常に厳しい。また、全国の参加校は現在約4000校以上ある。都道府県別では250校以上出場の北海道と東京都で2校を出す他は、50校未満(例:福井県・鳥取県)の小地区でも、150校以上(例:埼玉県・千葉県)の大地区でも1校だけで、特に大阪府・神奈川県・愛知県・兵庫県の地方大会は非常に狭き門となっている。1998年の80回記念大会では、埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県が2校に拡大された。第90回記念大会も拡大される[1]。現在では大都市圏から地方の高校へ野球留学も多いため、「人口が多い神奈川県・大阪府・愛知県・埼玉県・兵庫県・千葉県・福岡県は出場枠を2校にすべき」の声もある。
北海道は石狩支庁、後志支庁、檜山支庁、渡島支庁、日高支庁、胆振支庁を南北海道、その他を北北海道としている。
地方大会の基本的なルールは選抜高等学校野球大会と同じく、開催年度の公認野球規則、アマチュア野球内規、高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度が実施されている。決勝戦については適用されない。
組み合わせ抽選は、大会直前に行われる組み合わせ抽選会でまず1 - 3回戦の組み合わせを決定(合わせて選手宣誓者も決定される)し、準々決勝と準決勝以降はその都度甲子園球場で決定される。シード制はなく、初戦で注目校同士の対戦になる事もある。当初は、選抜高等学校野球大会同様に一度の抽選で決勝戦までの対戦を決めていたが、1958年第40回、1963年第45回は記念大会として1県1代表制をとり、出場校が増えたため現行と同様に、まず1 - 3回戦の組み合わせを決定し、準々決勝と準決勝以降はその都度甲子園球場で決定される方式をとった。その後1県1代表制となった1968年第50回、1973年第55回の記念大会と1978年第60回以降1994年第76回までは初戦=1回戦、2回戦の一部=が大会直前に決定し、その後の組み合わせは随時甲子園で抽選して決定していたが、阪神・淡路大震災による交通障害、あるいは選手の健康管理上試合スケジュールの均一化を図ることから1995年第77回から再びこの方式に戻された(このとき1日4試合日の開始時刻も30分繰り下げられ8:30開始となった)。かつての一発抽選の時代は隣接県同士が初戦で対戦することも珍しくなかったが、1県1代表制となってからは、隣接県同士の対戦を避けるため、東海・北陸を境に東西対決の形で抽選する形が長く続いた。しかしそのため逆に東海・北陸・近畿の隣接県同士が初戦でぶつかる弊害が散見したため2007年第89回からは東西対決方式を廃止した。
準々決勝は第84回(2002年)までは1日4試合を一括開催したが、第85回(2003年)から選手の健康管理を考えて1日2試合ずつの2日間開催に変更した。雨天中止による日程遅延が3日間以上続いた場合は日程消化の関係で4試合を一括開催する。この関係で長年8月8日にほぼ固定されていた開幕日が1 - 2日程度前倒しして行われるようになった。
3年生部員にとってこの大会で負けると高校野球生活が終わるという意味をこめて、夏が終わると表現する[2]。負けたチームが甲子園の土を持ち帰る光景が恒例となっており、伝統である[3]。
大会歌は第29回(1947年)までは山田耕筰作曲、陸軍戸山学校合唱団が歌いポリドールより発売された『全国中等学校優勝野球大会の歌』。「いさおし、撃ちてし止まん」等、文語体で詞が統一されている。選抜高等学校野球大会の大会歌は『全国選抜中等学校野球大会の歌』であって作曲者、歌唱者さらにレコードレーベルが同じだったが、曲調と詞は、合間に手拍子が挿入されているなど、『全国中等学校優勝野球大会の歌』とは全く異なっていた[4]。
『栄冠は君に輝く』は山田耕筰に心酔していた古関裕而作曲によるもので「全国高等学校野球大会の歌」の副題が添えられ、伊藤久男とコロムビア男声合唱団によって歌われて、1949年に日本コロムビアからレコードを発売。第30回(1948年)から大会歌となった。春の選抜高校野球と違い、流行歌による入場行進曲の設定はない。