『高麗史』によれば1350(庚寅)年2月「倭寇の侵すは此より始まる」という有名な記事があり、これが当時の公式見解であったようだが、庚寅年以前にも多数の記事がある。こうした初期倭寇の特徴として高麗軍船の焼き討ちも目立つことはとくに注意される。高麗や朝鮮は宗主国である元や明に上奏し、元寇以降もさかんに軍艦を建造して対馬を拠点とする倭寇討伐を目的とし、1389年、1419年などに単独で侵攻している。これは日本侵略を口実に元や明の大軍が再び自国に長期駐留して横暴を極めることをおそれたあまりの「先走り」だとされる(『同』列伝・鄭地)。
また、同書(列伝・金先致)によれば、1375年の藤経光誘殺未遂によって島民が激昂し、倭寇が高麗住民の無差別殺戮に出るようになったと記している。
参照文献^ ⇒世宗 114卷 28年 (1446 丙寅) 10月 28日 (壬戌) "臣聞前朝之季, 倭寇興行, 民不聊生, 然其間倭人不過一二, 而本國之民, 假著倭服, 成黨作亂, 是亦鑑也。"
^ ⇒明史卷三百二十二 列傳第二百十外國三 日本 嘉靖二十六年
^ 田中健夫『倭寇−海の歴史』(教育社歴史新書、一九八二年)および「倭寇と東アジア通行圏」(『日本の社会史』一<列島内外の交通と国家>岩波書店、一九八七年
^ 高橋公明「中世アジア海域における海民と交流−済州島を中心として」(『名古屋大学文学部研究論集』史学三三、一九八七年
^ 村井章介『中世倭人伝』(岩波新書、一九九三年
^ 東郷隆、『【絵解き】雑兵足軽たちの戦い』 講談社〈講談社文庫〉、2007年、48-51頁。この時期の前期和冦の頭目として阿只抜都などが記録に残っている。同書では、阿只抜都の正体について、赤星氏や相知比氏(松浦党)といった九州の武士、あるいはモンゴル系島嶼人や高麗人といった可能性も示唆している。
^ 柳生厳長、『正伝新陰流』、島津書房、2004年。
資料
『老松堂日本行録』 - 朝鮮王朝の使節、宋希?が世宗大王に献上した日本見聞録。
倭寇につうじる海民たちの活動の様子が比較的詳しく記されている。ただし倭寇の記述はない。岩波文庫版には応永の外寇にかんする朝鮮実録の抜粋なども併録。
『籌海図編』 - 鄭若曾著
『高麗史日本伝』 - 武田幸男編訳、岩波文庫。『高麗史』における日本記事の抜粋。ただし訓読等にやや問題がある。
関連項目
倭刀
苗刀(みょうとう)
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更新日時:2008年6月14日(土)05:55
取得日時:2008/08/26 16:22