退官後はこれまでのキャリアを生かし、危機管理の専門家として各種講演活動や企業・団体へのアドバイスの他、「ビートたけしのTVタックル」などのテレビ番組への出演、著作活動を行い、「危機管理のノウハウ」、「連合赤軍『あさま山荘』事件」などのベストセラーも多数ある。また、橋本龍太郎亡き後の日本美術刀剣保存協会・刀剣博物館の7代目会長・理事・館長に就任している。ちなみに無給。この協会の運営形態に対し、佐々が会長就任後、政府与党、および野党双方から度々批判の声が挙がっており、日本美術刀剣保存協会の等級審査の問題点の解決を求められている。
2006年には祖父に当たる佐々友房が設立した、熊本県立済々黌高等学校を訪れ、あさま山荘事件などの自身の体験や佐々友房などについてかたり、同校の図書館に自身の全著書を寄贈した。
2007年東京都知事選挙では、石原慎太郎自らの要請によりは石原の選挙対策本部長を務めた。選挙プランナーとして、沖縄県知事選の仲井眞弘多候補などを勝利に導いたという三浦博史を起用。選挙前から「都政の私物化」などの批判が強かった石原について、「反省しろよ慎太郎、だけどやっぱり慎太郎」とのキャッチフレーズでソフト路線への転換をアピールする作戦を取った。またこれまで石原の選挙運動で恒例であった石原軍団など芸能人の応援演説も拒否し[6]、治安対策など石原のこれまでの実績を強調する作戦をとった結果、圧倒的大差での3選に導いた。
一方で、知事選を「戦後六十年のイデオロギー対決の準決勝戦(改憲が決勝であるとすれば)」と述べ、「まさに戦後六十年のイデオロギー的対立軸が綜合的に“石原VS反石原”となって激突した。ものすごく意義のある選挙だった。」「(市民に対する)国民・(福祉ではなく)安心安全・トップダウン・タカ派」が選択された、「反体制側、全共闘、ベ平連、極左過激派集団のOB」、「石原の悪口と福祉しか連呼しない頼りない父の世代」との闘いである、と安田講堂事件やあさま山荘事件を起こした世代であり、反石原的な左翼的指向を持つ団塊の世代について語っている(『諸君!』6月号)。これらは選挙後の発言であり、石原に公約として訴えさせたものではない(むしろ福祉の充実は石原の公約にも掲げさせていた。「 ⇒東京再起動。」参照)。
2007年5月17日に発生した愛知立てこもり事件では、犯人に首を撃たれた巡査部長が、玄関先に倒れたまま5時間に渡って放置され、あげく守りについていたSAT隊員が殉職してしまうという事態に陥った。佐々は出演していた番組内で、この事件を統括していた愛知県警がやるべきだったことは、犯人の銃弾を避けるために大楯を持った部隊で取り囲んで撃たれた巡査部長を助ける事を優先し、人質を無事保護出来たところで、SAT隊による強行投入をさせるべきだったと厳しく指摘した。[7]
「 ⇒川田洋によれば、第21回参院選で天木直人が9条ネットから立候補すると、「天木は当選させない」と公言していたという。なお、天木は落選している。」
著書
危機管理のノウハウ
わが上司後藤田正晴 決断するペシミスト
東大落城 安田講堂攻防七十二時間
香港領事佐々淳行 香港マカオ暴動、サイゴン・テト攻勢
平時の指揮官有事の指揮官
謎の独裁者・金正日
目黒警察署物語(自ら描いた挿絵はプロのイラストレーター並の実力である)
危機の政治学―ハンガリー事件から、湾岸戦争、ソ連邦崩壊まで
美人女優と前科七犯―佐々警部補パトロール日記
戦時少年佐々淳行―父と母と伊藤先生
インテリジェンス・アイ-危機管理最前線
連合赤軍「あさま山荘」事件(映画『突入せよ! あさま山荘事件』原作)
事件解決に当たり警察庁との間で確執があった長野県警察関係者から「記述が不正確で当時の関係者の名誉を傷つけるものだ」との抗議が寄せられた。これらのことが影響してか、映画化に際して長野県警の協力を得ることができず、現地撮影をあきらめ、新潟県上越市を撮影地にしている。なお、映画において佐々の役は役所広司が演じた。映画では、無能で体面にこだわる長野県警側と解決をあせる警察庁側との対立が、よりコミカルに強調されている。
当事者である坂口弘から、彼の短歌を改変(読点を追加)して引用した点と坂口の名誉を毀損する表現があった点につき、版元の文藝春秋とともに訴訟を起こされた。東京高裁の確定判決では、短歌の改編が著作者人格権の侵害、坂口とは無関係の爆弾事件(土田・日石・ピース缶爆弾事件)に関与したかのように印象付ける記述が名誉毀損に当たると認定し、損害賠償を命じている。