お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。生まれるが早いか、至るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをしたことを紹介している。
当初は「利助(りすけ)」だったようだが「としすけ」とも読み、「としすけ」の音から「俊輔」とも書かれるようになり、そうなると今度は「しゅんすけ」と読まれることになり、その音から「春輔」とも表記され、こんどはそれが「しゅんぽ」と音読されたので、最終的に「春畝」を号にしたものである。
栄典・爵位
1877年11月2日:勲一等旭日大綬章
1884年7月7日:伯爵授爵
1885年5月25日:スウェーデン王国 ヴァーサ勲章一等
1889年2月11日:勲一等旭日桐花大綬章
1895年8月5日:大勲位菊花大綬章 侯爵陞爵
1896年3月19日:ロシア帝国 アレクサンドル・ネフスキー勲章一等
1897年10月4日:ベルギー王国 レオポルト勲章一等
1898年4月29日:フランス共和国 レジョン・ド・ヌールグランクロワ章
1906年4月1日:大勲位菊花章頸飾
1907年9月21日:公爵陞爵
家族・親族
妻・梅子(芸者時代はお梅と名乗る)
長男・文吉(養子。木田幾三郎・長男。文吉の妻は元首相桂太郎の娘・寿満子)
二女・生子(福岡県。末松謙澄子爵に嫁する)
孫・博精(妻は元首相高橋是清の孫娘)
曾孫・文子(出雲国造家の千家達彦妻)
林家は越智氏の流れを汲むと称している。江戸時代、林家は代々農業を営んでいた[2]。博文の父・十蔵が伊藤家の養子に入ったことで伊藤姓を称するようになった。博文の跡は養子の博邦(盟友井上馨の甥)が継いだ[3]。家紋は上がり藤。助左衛門━十蔵━博文┳博邦━┳博精━┳博雅━┳智明 ┣生子 ┣博春 ┣邦子 ┗八重子 ┣朝子 ┣博通 ┣雪子 ┣文吉 ┣琴子 ┣文子 ┗眞一 ┣博約 ┣典子 ┣愛子 ┗久子 ┣博忠 ┣博臣 ┣博則 ┣博経 ┣十四子 ┣博孝 ┗博英
邸宅開東閣
山口県萩市椿東
東京都品川区大井
東京都港区高輪四丁目(開東閣)
神奈川県大磯町西小磯(滄浪閣)
神奈川県横浜市金沢区野島町 野島公園
参考文献
早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 211-215頁
別冊歴史読本57 第28巻26号 『日本の名家・名門 人物系譜総覧』 新人物往来社 2003年 226-227頁
登場作品
テレビドラマ
竜馬がゆく 役者:中村敦夫
花神 役者:尾藤イサオ
獅子の時代 役者:根津甚八
春の波涛 役者:伊丹十三
翔ぶが如く 役者:小倉久寛
映画
二百三高地 役者:森繁久弥
長州ファイブ -CHOSHU Five- 役者:三浦アキフミ
ロスト・メモリーズ 役者:ウ・サンジョン
脚註^ 死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だったことを知らされた伊藤は、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたといわれる。
^ 『日本の上流社会と閨閥』には「もともと伊藤の家は水呑み百姓で父親十蔵は馬車ひきなどをしていたが食い詰めて長州藩の伊藤という中間の家に下僕として住み込んでいるうちに子供のない同家の養子になり伊藤を名乗った。博文は幼名を利助といい捨て子だったという説もある。それが武士のはしくれから明治の指導者に出世すると家系が気になりだしたのか孝霊天皇の息子伊予皇子の三男小千王子が祖先とか、河野通有の子孫とか言い出した。