選挙権・被選挙権における
直接国税納税額実施年選挙権被選挙権
1890年15円以上15円以上
1902年10円以上制限なし
1920年3円以上制限なし
1928年制限なし制限なし
定数は衆議院議員選挙法によって定められていた。1889年に衆議院議員選挙法によって300人と定められた後、増員が繰り返され、1925年に466人となった(実際に466人が選出されたのは1928年の総選挙)。1945年4月の樺太・朝鮮・台湾への選挙法施行で31人が追加され497人となったが、そのための選挙は行われなかった。敗戦後、大選挙区制が採用された1945年12月の選挙法改正で468人とされたが、うち2人を占める沖縄県は米軍の統治下に置かれて選挙法が施行されなかったので、1946年4月の戦後第1回総選挙(第22回総選挙)は沖縄を除く466人について実施され、新憲法下に継承された(議員定数も参照)。
1889年の衆議院議員選挙法では北海道と沖縄県を除いた区域を区(市制施行以降の市)・郡を単位に257の選挙区に分け、1選挙区から1人を選出する小選挙区制を原則としたが、43選挙区は2人区とされ、全体で定数300人となった。投票方法について1人区においては当然に1名単記とされたが、2人区では2名連記が採用された。第1回総選挙(1890年7月1日執行)から第6回総選挙(1898年8月10日執行)までがこの選挙法によって行われた。
1900年、第2次山県有朋内閣により選挙法が改正され選挙権・被選挙権が拡大されるとともに、従来の小選挙区制から原則として1つの府県を1つの選挙区としてそれぞれから2人?12人を選出する大選挙区制に改められた。ただし、市部や離島は1選挙区として郡部からは分離され、東京市・京都市・大阪市(のち横浜市も追加)を除いて定数1人の小選挙区とされた。これにより総定数は369人となったが、1902年に第1次桂太郎内閣の下で再度選挙法が改正されて、この間に新たに発足した市が郡部選挙区から分離して総定数は381人となった。このうち、札幌区・小樽区・函館区を除く北海道と沖縄県への施行は当初は見合わされ、得撫島以北の千島列島を除く北海道全域には1903年、沖縄県には1912年にようやく選挙法が施行された。この改正から大選挙区においても単記制が採用された。第7回総選挙(1902年8月10日執行)から第13回総選挙(1917年4月20日執行)までがこの選挙法によって行われた。
大正デモクラシーの下での普選運動の高まりに対して原敬内閣は1919年に選挙法を改正して、納税額による選挙権の制限を残しながらも選挙権の拡大を図るとともに、大選挙区となっていた郡部選挙区を分割して、従来から事実上の小選挙区であった市部・離島と合わせて小選挙区を原則とする選挙制度に改めた。総定数は464と大幅に増員され374の選挙区が設定されたが、そのうち68選挙区が2人区、さらに11選挙区は3人区とされて、小選挙区制の原則からは大きく逸脱したものであった。第14回総選挙(1920年5月10日執行)および第15回総選挙(1924年2月20日)がこの選挙法によって行われた。
第2次護憲運動の高まりの下で行われた第15回総選挙で護憲三派が勝利することによって発足した加藤高明内閣が1925年に衆議院議員選挙法を全面改正することによって普通選挙(ただし男子のみ)が実現した。この改正衆議院議員選挙法を一般に普通選挙法と呼ぶ。北海道から沖縄県までの全国(得撫島以北の千島列島および小笠原島を除く)に1選挙区の定数を3人?5人とする122選挙区が設定され、総定数は466となった。直前の小選挙区制とも府県を1選挙区とする大選挙区制とも違うという意味で中選挙区制と呼ぶ。第16回総選挙(1928年2月20日執行)から第21回総選挙(1942年4月30日執行)までの総選挙がこの選挙法によって行われた。
前述の通り、この選挙法は植民地である樺太・朝鮮・台湾には実施されていなかったが、第二次世界大戦末期の1945年4月に選挙法が改正されてこれらの地域にも議席が配分されて(樺太:3人、朝鮮:23人、台湾:5人)、衆議院の総定数は497人となった。選挙権・被選挙権は当該地域に居住する日本人だけでなく朝鮮人や台湾人などにも当然に与えられたが、選挙権については「引続キ一年以上直接国税十五円以上ヲ納ムル者」という制限があった。この改正にかかわらず、8月の日本の敗戦によってこれによる選挙は結局行われなかった。また、得撫島以北の千島列島と小笠原島には最後まで選挙法が施行されなかった。
敗戦後、占領軍の指導の下に行われた「民主化」の一環として幣原喜重郎内閣によって1945年12月に衆議院議員選挙法が改正されて女性に選挙権が与えられるとともに、都道府県を単位とする大選挙区制が導入された。1900年の大選挙区制とは違い、各都道府県全域を1選挙区とすることを原則に総定数468人を沖縄県を含む各都道府県の人口(1945年11月1日の人口調査による)に基づいて配分された。これにより15人以上が配分される東京都・大阪府・兵庫県・新潟県・愛知県・福岡県および北海道の7都道府県についてはこれを分割して2選挙区とした。この結果、各選挙区では4人?14人の議員(沖縄県は2人)を選挙することとなり、定数10人以下の選挙区では2名、11人以上の選挙区では3名を連記して投票する制限連記が採用された。これによる総選挙は1946年4月10日に執行された(第22回総選挙)が、米軍の直接統治下に置かれた沖縄県には実施されず、実際にはこれを除いた466人について選挙が行われた。
新憲法施行を控えた1947年3月の衆議院議員選挙法改正により中選挙区制が復活し、同年4月25日に執行された第23回総選挙はこの復活した中選挙区制によって行われたので、大選挙区制による総選挙は第22回のみに終わった。
1890年第1回総選挙のから1932年第19回総選挙で選出された議員の任期は4年(ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う)。1900年の衆議院議員選挙法の改正によって、1902年の第7回総選挙以降において選出された議員は議会開会中に任期を終了しても閉会となるまで在任となった。そのような例として、第9回総選挙において選出された議員がある。
衆議院議員任期延長ニ関スル法律の制定によって、1941年2月以降は任期は5年となった(ただし、解散時には任期満了前に議員資格を失う)。任期5年の議員の例として、1937年第20回総選挙において選出された議員がある。議員の任期を4年とする日本国憲法の施行によって、1947年5月以降、衆議院議員任期延長ニ関スル法律は死文化したが、同法は1954年5月まで存在した。