五箇条の御誓文
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福岡は後年「この時平民までも此議会に与らしめる御つもりであったか」と問われ、「それは後から考えればそうも解釈されるが、御恥ずかしい話ですが当時私はまだその考えはなかったです」「広くとは人々の意見を広く集めて会議するというのではなく府藩県にわたりて広く何処にも会議を興すという義です」と答えた[3]。しかしながら、ここを「列侯会議」に限定せずに漠然と「広く会議」に改めたことは、後に起草者たちの意図を離れ、民権論者によって民選議会を開設すべき根拠として拡張解釈されるようになった。また明治政府自身もそのように解釈するようになった。

後段の「万機」は「あらゆる重要事項」の意味。「公論」は公議と同義、または公議輿論の略語であり、「みんなの意見」または「公開された議論」といったような意味である。「万機公論に決すべし」の語句は、由利と親交のあった坂本竜馬船中八策(慶応三年六月)に「万機宜しく公議に決すへし」とあり、ここから採られたものとみられる。由利の草稿では、初めは「万機公議」と書き、後で「万機公論」と改めている。


一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ

(現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。

(由利案第二条)士民心を一にし盛に経綸を行ふを要す

(福岡案第三条)上下心を一にし盛に経綸を行ふべし

冒頭の「上下」は、由利案では「士民」だったが、福岡の回顧によれば「一層意味を広くするために士民を上下に改めた」という。「心を一にして」は日本国民の団結を表現する当時の決まり文句であり、江戸期の水戸学者の著作から後の教育勅語に至るまで広く使われている。

後段の「経綸」の語の解釈には注意が必要である。由利の出身藩である越前藩のために横井小楠が著した「国是三論」において「一国上の経綸」という章があり、そこでは主に財政経済について論じられていることから、その影響を受けた由利は経綸の語を専ら経済の意味で用いていた。したがって、この条文のいう「盛に経綸を行う」とは由利にとっては「経済を振興する」という意味であったと思われる。もっとも、当時、経綸の語は一般に馴染みのある語ではなく、江戸版の太政官日誌では経綸を経論と誤記しケイロンとルビを振っていた。福岡は後に回顧して「由利が盛に経綸経綸という文句を口癖のごとく振りまわしていた所であったからそのままにして置いたのである。経綸という字の意味は元は経済とか財政とかを意味していたようであるが、これは説く人々の解釈に任してよいのである」と述べている。一般的には、経綸の語は、経済政策に限らず国家の政策全般を意味するものとして理解されることが多い。


一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス

(現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

(由利案第一条)庶民志を遂げ人心をして倦まざらしむるを欲す

(福岡案第二条)官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしむるを要す

由利案ではこの条文は第一条に置かれ最重視されていた。由利は後の著書「英雄観」で「庶民をして各志を遂げ人心をして倦まざらしむべしとは、治国の要道であって、古今東西の善政は悉くこの一言に帰着するのである。みよ、立憲政じゃというても、あるいは名君の仁政じゃといっても、要はこれに他ならぬのである。」と述べている。

冒頭の「官武一途」は語は福岡孝弟の修正案で追加されたものであり、「官」とは太政官すなわち中央政府、「武」とは武家すなわち地方の諸侯、「一途」は一体を意味する。これは福岡の回顧では「官武一途即ち朝廷と諸侯が一体となって天下の政治を行う」意味としている。この条文は、もともとの由利の意図では庶民の社会生活の充足をうたったものであったが、福岡が政治の意味を込めて「官武一途」の語を挿入したため、条文の主旨が不明瞭になったことが指摘されている(稲田正次)。


一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

(当初の木戸草案)旧来の陋習を破り宇内の通義に従ふへし

この条文は由利案や福岡案では存在せず、木戸の修正により登場した。「宇内(うだい)」は「天下」「世界」の別表現である。「通義(つうぎ)」は「広く一般に通用する道理」という意味である。(三省堂『大辞林』)

この条文を、戦前の研究者尾佐竹猛は、「旧来の陋習」は鎖国攘夷を指し、「天下の公道」は万国公法すなわち国際法の意味であり、この条文は開国の方針を規定したものとして狭く解釈していた。

しかし、これに対し、稲田正次松尾正人佐々木克たちは、開国の方針や国際法を示すことだけではなかったと明確に説明している。その理由として、御誓文と同時に出された宸翰に出てくる「旧来の陋習」の語がそもそも鎖国攘夷の意味に限定されていないこと、また木戸孝允自身が「打破すべき封建制」「打破すべき鎖国性」の意味で「旧習」「旧来の陋習」「陋習」という言葉を広く使用していること、また、木戸より保守的と考えられている大久保利通でさえ木戸の「旧来の陋習」と同じ意味のことを「因循の腐臭」と感情的に批判しており、薩長いずれも密留学をさせ倒幕に立ち上がった開明的雄藩であったにもかかわらず長州の木戸より薩摩の大久保のほうが感情的に攻撃せざるを得ない封建的事情を抱えていたということ、更に、大久保同様に木戸より保守的と考えられている岩倉具視でさえ他の文書で「天地の公道」という語を万国公法とはおよそ次元の異なる「天然自然の条理というような意味」で用いていることなどが挙げられている。


一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

(現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

(由利案第三条)智識を世界に求め広く皇基を振起すへし

(福岡案第四条)智識を世界に求め大に皇基を振起すべし

前段の「智識を世界に求め」については、前述の横井小楠「国是三論」に「智識を世界万国に取て」とあり、ここから採られたものとみられる。後段の「皇基」とは「天皇が国を治める基礎」というような意味である。

福岡はこの条文を「従来の鎖国的陋習を打破して広く世界の長を採り之を集めて大成するの趣旨である」と回顧している。


勅語勅語と奉答書(太政官日誌掲載)

(現代表記)我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以って衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの趣旨に基き協心努力せよ。年号月日 御諱

(意味)我が国は未曾有の変革を為そうとし、わたくし天皇が自ら皆に率先して天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民を保全する道を立てようとする。皆もまたこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。

この勅語は、明治天皇が神前で五箇条を誓った後、群臣に向けて下した言葉である。なお、明治天皇の言葉といっても、天皇自身が声に出した言葉ではなく、実際には三条実美が読み上げている。

勅語中「年号月日」とある箇所は、実際の日付が記されている。「御諱」とは実名のことであり、ここには明治天皇の実名の睦仁が記されている。


奉答書

(現代表記)勅意宏遠、誠に以って感銘に堪えず。今日の急務、永世の基礎、この他に出べからず。臣等謹んで叡旨を奉載し死を誓い、黽勉従事、冀くは以って宸襟を安じ奉らん。慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯各名印

(意味)天皇の意志は遠大であり、誠に感銘に堪えない。今日の急務と永世の基礎は、これに他ならない。我ら臣下は謹んで天皇の意向を承り、死を誓い、勤勉に従事し、願わくは天皇を安心させよう。

奉答書は、群臣が天皇の意志に従うことを表明した文書であり、総裁以下の群臣の署名がある。3月14日当日には411名の公卿諸侯が署名し、残りの者は後日署名した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki