大正8年(1919年)、同じ愛媛県出身の陸軍中将(当時)白川義則と懇談した際に、忠八は以前却下された飛行機の上申があったことを告げ、白川が専門家に諮ってみるとその内容は技術的に正しいものであることがわかった。
こうしてようやく軍部は忠八の研究を評価し、大正11年(1922年)、忠八を表彰し、その後も数々の表彰を受けた。大正14年(1925年)9月、安達謙蔵逓信大臣から銀瓶1対を授与され、大正15年(1926年)5月、帝国飛行協会総裁久邇宮邦彦王から有功章をたまい、昭和2年(1927年)、勲六等に叙せられ、昭和12年度から国定教科書に掲載せられた。既に陸軍を退役していた長岡外史は直接忠八のもとを訪れ、謝罪した。
忠八はその後、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために飛行神社を設立、自ら神主になっている。
晩年は幡山と号して、七音五字四句一詞の形を「幡詞」と名づけ、幡詞会をもうけ、『幡詞』を著した。
当時欧米で有人飛行を目指す流れは、
模型飛行機の実験を行い、それを人が乗れる大きさに拡大したものを製作する
グライダーによる滑空実験を行い、操縦技術を確立してからグライダーに動力を取り付ける
の2つに大別され、ライト兄弟はこの両方の研究成果を受け継ぎつつ後者の道を選んだ。兄弟は3000回以上の滑空と風洞をはじめとする科学的で綿密な実験結果に基づいて操縦者の意思で飛行する最初の飛行機を制作した。一方、忠八の研究は近年、自筆の設計図を元に制作されて飛行実験に成功した事で彼の飛行理論の正しさは証明されたものの、その研究の過程や計画が研究途上にある事で明確な位置付けがまだできない事、海外の研究者の着目が少ない事から客観的な視点が欠けていることにも留意する必要がある。
日本では近年「日本の航空機の父」という評価が高まりつつあり、その先見性や独創性が一般に知られるに従ってメディアで取り上げられる事も多くなった。ライト兄弟の初飛行に先立ち動力付き有人飛行機を着想するも金銭的な手当てがつかなかった事で研究の進展が思うように進まず、有人飛行を断念する残念な結果となったが黎明期に活躍したパイオニアとしての功績と才能、興味深い様々な逸話、自省から神社を建てる人格等、決して世界的な発見や功績を挙げたわけではないものの、日本航空機史上へ名を刻むにふさわしい傑出した人物として認知されつつある。
一方で実際にはゴム動力の模型飛行機はフランスで1871年にすでに製作され、飛行しているにもかかわらず、「飛行機の真の発明者」「世界で最初に模型飛行機を製作」と報じる等、忠八の研究活動や航空史の流れを全く理解されていない例が散見され(航空に関する年表も参照のこと)これを残念とする声や、評価の流れを一方的に中傷する動きなどがあり、情報や認識が錯綜した状態が続いている。また忠八の作った航空機は人力航空機であり、エンジン航空機とはかけ離れていることから過大評価されているとの意見も多い。二宮忠八の活動詳細の普及や安定した評価の形成にはまだ時間がかかると思われる。
その他
忠八がカラスを見て飛行の原理を着想したのは、香川県まんのう町追上の樅ノ木峠であったとされる。その故事にちなみ、同地には1966年に二宮飛行公園が、1991年には二宮飛行神社が整備開設された。さらに2006年3月17日、「道の駅空の夢もみの木パーク」の隣接地に「二宮忠八飛行館」が開館した。玉虫形飛行器の複製模型をはじめとした再現模型や書簡などが展示されている。なお、同地への公共交通は平日のみ一日4本の旧仲南町町内巡回バスしかないため、訪問の際は注意が必要である。
忠八がライト兄弟の飛行機を知ったタイミングはしばしばその初飛行の直後であるかのように書かれるが、ライト兄弟の初飛行はアメリカ国内ですらほとんど報道されなかった。また、その後兄弟が(アイディアの盗用を恐れて)なかなか公開飛行を行わなかったため、広く知られるようになったのは1908?9年頃である(村岡正明『航空事始』(東京書籍、1992年)によれば、日本で初めて報じられたのは、雑誌『科学世界』の明治40年(1907年)11月号だという)。日本の新聞記事等からもこのことは裏付けられるため、実際に忠八がライト兄弟の飛行機を知ったのもその時期と考えるのが妥当である。鈴木真二の著書『飛行機物語』(中公新書、2003年)では、忠八がライト兄弟の飛行機を知ったのは1909年10月3日付の新聞(紙名は記載なし)であると記している。村岡正明は、1907年3月25日の「萬朝報」におけるアルベルト・サントス・デュモンの飛行記事によって、二宮が外国人の初飛行を知ったと推測している。
出典^ 根本智『パイオニア飛行機物語』(オーム社、1996年、ISBN 4-274-0231401)、p66
関連小説
「虹の翼」(著:吉村昭)
関連項目
明治の人物一覧
桜屋幸吉
航空に関する年表
同時期(1880年代-1900年代)の飛行機開発者
帝政ロシア - アレクサンドル・モジャイスキー
ドイツ - オットー・リリエンタール(グライダー)、カール・ヤトー
イギリス - ハイラム・マキシム、パーシー・ピルチャー、A・V・ロー、サミュエル・フランクリン・コーディ
フランス - クレマン・アデール
オーストリア - ヴィルヘルム・クレス
ニュージーランド - リチャード・ピアース
オーストラリア - ローレンス・ハーグレイヴ
アメリカ合衆国 - グスターヴ・ホワイトヘッド、オクターヴ・シャヌート、サミュエル・ラングレー、ライト兄弟、オーガスタス・ヘリング
アルフォンス・ペノー - 1871年に世界初のゴム動力模型飛行機を製作し、飛行に成功した。