国府は桑田郡にあり、現在の亀岡市千代川遺跡または南丹市八木町屋賀(旧船井郡八木町屋賀)または亀岡市三宅町(国衙との説もある)にあてる説があるが、未だ確定していない。
延喜式神名帳には大社5座4社・小社66座65社の計71座69社が記載されている。大社は全て名神大社で、以下のものである。
桑田郡 出雲神社(現 出雲大神宮、京都府亀岡市)
桑田郡 小川月神社(京都府亀岡市)
船井郡 麻気神社(現 摩気神社、京都府南丹市)
多紀郡 櫛石窓神社二座(兵庫県篠山市)
一宮は出雲神社(出雲大神宮)で、二宮以下は存在しない。総社は京都府船井郡八木町(現南丹市)の宗神社とみられる。
鎌倉幕府
1221年〜1222年 - 北条時房
1232年〜1277年 - 北条時盛
1277年〜1284年 - 北条時国
1306年〜1333年 - 六波羅探題南方兼任
室町幕府
1336年〜1343年 - 仁木頼章
1343年〜1351年 - 山名時氏
1351年〜1352年 - 仁木頼章
1352年〜1353年 - 高師詮
1354年〜1359年 - 仁木頼章
1359年〜1360年 - 仁木頼夏
1360年〜1363年 - 仁木義尹
1363年 - 足利直冬
1364年〜1371年 - 山名時氏
1371年〜1391年 - 山名氏清
1392年〜1397年 - 細川頼元
1397年〜1426年 - 細川満元
1426年〜1429年 - 細川持元
1429年〜1442年 - 細川持之
1442年〜1473年 - 細川勝元
1473年〜1506年 - 細川政元
1506年〜1507年 - 細川澄之
1507年〜1508年 - 細川澄元
1508年〜1520年 - 細川高国
1520年 - 細川澄元
1520年〜1525年 - 細川高国
1525年 - 細川稙国
1525年〜1531年 - 細川高国
1532年〜1552年 - 細川晴元
1552年〜1563年 - 細川氏綱
郡
桑田郡(くわだ:1879年以降は北桑田郡と南桑田郡に分割)
北桑田郡(京都市右京区京北・左京区広河原、南丹市美山町・八木町神吉)
南桑田郡(亀岡市、大阪府高槻市樫田、大阪府豊能郡豊能町牧・寺田)
船井郡(ふない:京丹波町、南丹市日吉町・園部町・八木町のうち旧北桑田郡神吉村(1955年に編入)を除く地域)
何鹿郡(いかるが:綾部市、福知山市のうち旧佐賀村)
多紀郡(たき:篠山市)
氷上郡(ひかみ:丹波市)
天田郡(あまだ:福知山市のうち旧何鹿郡佐賀村、旧与謝郡雲原村(1902年以降は天田郡)、旧加佐郡大江町を除く地域)
1.京都府内
南丹または口丹(くちたん:全域丹波)=亀岡市・南丹市(旧船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町)・船井郡
中丹(ちゅうたん:丹波と丹後にまたがる地域)=福知山市・綾部市・舞鶴市(旧天田郡・旧何鹿郡・旧加佐郡)
2.兵庫県内
丹波(兵庫丹波)=丹波市・篠山市
丹波の範囲は、現在の兵庫県側は篠山市及び丹波市で人口・面積ともに全体の2割弱、京都府側は亀岡市、南丹市、船井郡京丹波町、綾部市、福知山市であるので、兵庫県部分より京都府部分のほうが広大。 兵庫丹波・京都丹波と分類することは現在の行政区分により丹波が2府県にまたがるためである。
そもそも丹波は、中央集権体制を進める明治政府の大久保利通らにより、但馬・丹後を含め似通った地域性を無視して2府県に分けられた。亀岡市及び旧船井郡園部町、八木町を除き府県庁所在地から遠くはなれ、両府県および国の施策からは重きを置かれずにいたので、高度経済成長期にいっそうの過疎化が強まった。 なお、1871年(明治4年)11月2日〜1876年(明治9年)8月21日の約5年間は、桑田、何鹿、船井3郡および山城が京都府、氷上、多紀、天田3郡および但馬、丹後が豊岡県と言う構成であった。豊岡県を二分し、天田郡と丹後が京都府、氷上、多紀2郡と但馬が兵庫県に編入されることになったのは旧出石藩士の桜井勉氏の案であるが、当初桜井氏は豊岡県全域と飾磨県(播磨)との合併を進言したようである。
丹波の名を広めたのは旧丹波国全域であり、「丹波黒豆」や「丹波松茸」などの丹波ブランドを確立したと自負している篠山市に加え[3]、京都府内の綾部市長からも反対の声があったにも関らず[4]、2004年(平成16年)11月、旧氷上郡が町村合併で周囲の反対を押し切る形で丹波市を名乗った。2004年当時、丹波町(京都府)が存在していたが、市町の違いがあるので、競合そのものに法律上の問題はなかったが、丹波町が周辺の町と合併して京丹波町が発足した2005年(平成17年)10月11日をもって、丹波市・丹波町の並存は解消した。
丹波と丹後をあわせて両丹(りょうたん)、丹波と但馬をあわせて但丹または丹但(たんたん)、丹波と丹後、但馬をあわせて三たん(さんたん)と呼ばれる。「柏原の厄除大祭は三たん一のお祭り」などと表現される。
なお丹但は、但馬と丹後に用いられる場合もある。
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