国府は、和名類聚抄および拾芥抄では、加佐郡。現在の舞鶴市内と思われる。
ただし、易林本の節用集では、与謝郡とある。現在の宮津市府中と推定される。
延喜式神名帳には大社7座6社・小社58座58社の計65座64社が記載されている。大社6社は以下の通りで、竹野神社以外は名神大社に列している。
加佐郡 大川神社(舞鶴市)
与謝郡 籠神社(宮津市)
与謝郡 大虫神社(与謝郡与謝野町)
与謝郡 小虫神社(与謝郡与謝野町)
丹波郡 大宮売神社二座(京丹後市)
竹野郡 竹野神社(京丹後市)
一宮は籠神社であり、二宮は大宮売神社とされている。総社は不詳であるが、籠神社が総社を兼ねていたとする説もある。
室町幕府
1336年 - 今川頼貞
1337年 - 荒川詮頼
1337年〜1338年 - 上杉朝定
1339年〜? - 今川頼貞
1341年〜1350年 - 山名時氏
1350年〜1351年 - 上野頼兼
1351年〜? - 仁木頼章
1352年〜1353年 - 高師詮
1353年〜1360年 - 仁木頼勝
1360年〜1363年 - 仁木義尹
1363年〜1364年 - 足利直冬
1364年〜1370年 - 山名師義
1375年〜1381年 - 山名義幸
1385年〜1391年 - 山名満幸
1392年〜1409年 - 一色満範
1409年〜1440年 - 一色義貫
1440年〜1451年 - 一色教親
1451年〜1467年 - 一色義直
1469年〜1471年 - 武田信賢
1471年〜1474年 - 武田国信
1474年〜1484年 - 一色義春
1484年〜1487年 - 一色義直
1487年〜1498年 - 一色義秀
1498年〜? - 一色義有
1506年〜? - 武田元信
1509年〜1519年 - 一色義清
?〜1558年 - 一色義幸
1558年〜1579年 - 一色義道
1579年〜1582年 - 一色義定
1582年 - 一色義清
関ヶ原の戦いの功により京極高知が丹後一国の国主として封じられる。
脚注^ 従来の分国では都に近いほうを前とし、遠いほうが後とされた。
^ なお、1869年に陸奥国が5国へ分割された際は「陸前国」「陸中国」に対する「陸後国」は作られず「陸奥国」の名称が存続している。
^ ただし、わずかに1例のみ神亀3年(726年)の計帳に丹波国を「丹波前国」と記した例が知られ、丹後分国後の丹波の訓が当初タニハノミチノクチとされた可能性はある。
^ 参考文献
磯野浩光 「丹後国の国名について」『太邇波考古学論集』 両丹考古学研究会、1997年。
平良泰久 「丹波の分割」『京都府埋蔵文化財論集』第4集、京都府埋蔵文化財調査研究センター、2001年。
高橋美久二 「丹波国府の造営」『新修亀岡市史』第1巻、亀岡市、1995年。
表・話・編・歴令制国の一覧
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