中華民国国民政府主席
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国民政府の変遷

国民政府という呼び名は、政府のあった場所の地名を冠して使われることが多い。したがって、国民政府と呼ばれるものは複数あるが、主たるものは、以下のとおりである。最も、1950年までの中華民国は常に政治的に混乱しており、その事を反映して一時的に2つの国民政府が並立することもあった。


正統な国民政府

今日の中華民国政府を基準に考えると、中華民国の歴史において、以下の5つの国民政府が正統な国民政府ということになる。
広東(広州)国民政府 1925年1926年 (主席 汪兆銘

武漢国民政府 1926年1927年 (主席 汪兆銘。ただし、正統であるのは、1927年に次項の南京国民政府が成立するまで。)

南京国民政府 1927年1928年 (最初、武漢と並立、1927年9月に武漢政府は南京政府に統合)

南京国民政府 1928年1932年北伐完了を受けて。成立時の主席 蒋介石

新南京国民政府 1932年〜(1948年1949年 (広州南京合作。成立時の主席 林森

台湾国民政府 1950年1996年 (1949年に台湾に移転してきた南京国民政府を再編成して成立)


注記
新南京国民政府の別称
武漢国民政府 1937年1938年日中戦争時に、南京政府が武漢へと遷都していた時期の呼称)

重慶国民政府 1938年1946年日中戦争時に、南京政府が重慶へと遷都していた時期の呼称)

※南京国民政府と新南京国民政府は、特に区別しない場合もある。
※新南京国民政府の蒋介石政権は、中華民国憲法に基づいて政府組織を1948年5月20日に改編し、国民政府を中華民国総統府とした。そのため、中国ではこれ以降の国民政府を、憲法に基いた正統な政府として、「中華民国政府」と呼称している。なお、中華民国支持者は、1949年以降も今日に至るまで「中華民国政府」が存続していると主張している。
※台湾における中華民国の存在を認めない中華人民共和国は、中華民国政府を「台湾当局」と呼んでいる。
※1932年1月、南京に新国民政府が成立し(南京・広州合流。主席は林森)、行政院長に汪精衛が就任した直後(1月のうち)に、洛陽への遷都を宣言し、以降、4期2中全会などを洛陽で行った。同年12月には、南京へ遷都(還都)。洛陽に政府が存在したのが一時的であったこともあり、「洛陽国民政府」という呼び方は通常なされない。


その他の国民政府

中華民国の歴史において、「その他の国民政府」とは、上記の「正統な国民政府」以外の国民政府を指す。これらは、当時の政治的な混乱を背景として、正統な国民政府と並立しながら一時的に存在していた。
1927年 武漢国民政府(1927年の南京国民政府分裂後)

1930年 北平国民政府(主席 閻錫山

1931年 広州国民政府(主席 汪兆銘

1940年 南京国民政府(主席 汪兆銘


国民政府主席一覧

ここに挙げる国民政府主席一覧は、今日の中華民国政府を基準として、「正統な国民政府」とされる国民政府の主席を挙げている。その他の国民政府については、それぞれの項目を参照のこと。なお、国民政府の主席は、全員が中国国民党の党員である。

国民政府主席一覧表氏名政党就任辞任備考
広州国民政府
汪兆銘中国国民党1925年7月1日1926年3月21日中山艦事件を契機として、26年3月21日に休暇を取得し、5月11日広東を離れる。
譚延?(代理)中国国民党1926年3月21日1927年4月10日汪兆銘去職後、代理主席職權、7月6日選任真除
南京国民政府[1]
胡漢民中国国民党1927年4月18日1927年9月16日
不設主席1927年9月16日1928年2月
譚延?中国国民党1928年2月1928年10月8日
蒋介石中国国民党1928年10月8日1931年12月15日
林森中国国民党1931年12月15日1943年8月1日
蒋介石中国国民党1943年8月1日1948年5月20日
^ 1927年4月10日-1927年9月20日寧漢分裂、武漢南京均設立國民政府。1927年3月10日、武漢國民政府廢除主席、1927年4月28日南京國民政府仍設主席一職。(張朋園、沈懷玉、《國民政府職官年表》

前置の機関:中華民国大総統中華民国国家元首


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki