憲法改正
改憲をライフワークとしている。新憲法制定議員同盟・会長。
小泉内閣への評価
小泉内閣の最大の功績として「アフガニスタン、イラクでの国際貢献を目的とした自衛隊の海外派遣」を挙げる。
最大の失政として「憲政の常道に反し、参議院で否決された郵政民営化法案を成立させようと衆議院を解散したこと」を指摘。
「小泉内閣は、私がやったような政治の本道―たとえば財政とか行革とか、教育―ではなくて、道路と郵政をやっただけだ。どちらかと言えばはじっこのことだ。それを劇場政治として面白くやったんだな。俺に言わせれば印象派の政治だ(笑)。」と発言。(R25ロングインタビューVol.202)
保守意識
保守本流が、吉田自由党系の池田派佐藤派の系列を指すのが通常で、佐藤派保利系と合同した福田派まで含めることまではあっても、三木派と並んで中曽根派が傍流扱いされることに反発していた。
「保守本流には、自由党系と、民主党系があり、憲法改正を唱える中曽根派は真正の保守本流である」 という強い意識があったようだ。
松村謙三から「緋縅の鎧を着けた若武者」と賞賛された新人議員時代や、いち早く一派を率いた時代から平成の世まで保守政界の一方の核にあった。このため、宮澤喜一とは別の意味で、国会や内閣、派閥取引の裏事情を知る生き証人として知られ、本人も長い政治生活を背景とした過去との比較などの発言を度々行う。
とりわけ、保守合同の立役者であり、自民党史上最高の軍師として鳴る三木武吉を比喩として使い、その時代の参謀型・調整型政治家を持ち上げる手段としていた。鈴木内閣時の金丸信に対しては、「三木武吉以来の人材だ!」とおだて上げ、加藤の乱鎮圧後の野中広務には、「三木武吉を超えましたなあ」と褒め上げている。
実際には、金丸信との不仲は有名であった。また森内閣総辞職後の総裁選で、亀井を出馬辞退させたことに象徴されるとおり、野中広務も嫌っていたと思われる。このため、中曾根が本心から褒め上げたというよりは、三木武吉の名を出して相手を喜ばせていただけと考えられる。「食えない風見鶏政治家」としての本領を発揮した好例であろう。
交友関係ロナルド・レーガンの葬儀にてミハイル・ゴルバチョフ、マーガレット・サッチャー、ブライアン・マルルーニーらと中曾根康弘
ロナルド・レーガン
レーガンとは「ロン、ヤス」と呼び合うほどの親密な仲を築き、自著の中でも「たぐい稀な人間的魅力」と評している。1983年1月16日、中曾根がブッシュ副大統領の晩餐会に招待された席上での事、「今回の渡米に同行している次女の美恵子は、小学生だった11歳の時、インディアナ州ミシガンシティのモルト・ウィンスキー氏のお宅にホームスティしたのです。高校時代には互いに1年間、交換留学させました。ウィンスキー家とは20年近い交流が続いてます。今回の渡米に際しても、一家をあげてわざわざワシントンまで駆けつけてくれて、一同抱き合って再会を喜び合ったばかりです。かつて11歳の娘の美恵子をアメリカに送り出すとき、家内と『いつか総理大臣なって渡米する時が来たら、その時は美恵子が通訳をやってくれるといいなあ』と夢見たものですが、その後20数年、政治家として家族とともに幾山河を越え風雪に耐えて、ここワシントンを訪れ、それが今、現実になって感無量です。国と国との関係も、ウィンスキー家と私の家とのように友情と信頼で築き上げたい」この話の途中で中曾根は感情がこみあげ言葉を詰まらせてしまう。これを聞いていたブッシュ副大統領、シュルツ国務長官、ワインバーガー国防長官、ブロック通商部代表、ボールドリッジ商務長官など、並んでいた閣僚がハンカチを取り出して目頭を押さえる一幕があった。翌朝シュルツ国務長官から前夜の話を聞いたレーガン夫妻も目に涙を浮かべたという。1983年1月17日、ワシントンポスト紙の社主だったキャサリン・グラハム女史の朝食会に招かれ、その席上で「日本は不沈空母である」「日米は運命共同体である」と発言したと、ワシントン・ポストは大きく取り上げた。この会食の翌日にレーガンがホワイトハウスの私的な住居で朝食に招き、その時レーガンから「今後はお互いファーストネームで呼び合おう」と言われたという。キッシンジャーは「もし政治が可能性の芸術であるならば、レーガンは掛け値なしに一流の芸術家」と発言し、中曾根もこれに同意している。
マーガレット・サッチャー
大英帝国伝統の血を引いた現代宰相で卓抜な能力を備え、強気ながらも一方で女性らしい非常にきめ細やかな繊細さを持っていると中曾根は評した[7]。
竹村健一
中曾根は竹村を畏友と評し、竹村とは中曾根がまだ、総理・総裁候補だった頃からの付き合い。その当時から「体の中に国家を持っている」政治家として、竹村は中曾根を敬愛し続けているという。「竹村会」という勉強会の一月の全国大会では、毎年中曾根が基調講演を行っている。
渡邉恒雄
読売新聞会長の渡邉恒雄とは盟友関係にあり、小泉純一郎の推し進めた郵政民営化や靖国神社参拝などには異議を唱えた。
田中角栄
永遠の競争相手として認めており、代議士会では論戦に明け暮れた仲。
胡耀邦
『三国志演義』の登場人物のようで、英雄的要素を持ち、度量も視野も広かったと評し、兄弟のような付き合いをした仲だという。1984年9月、「日中友好二十一世紀委員会」が発足。これは胡耀邦と中曾根が「これからの日中関係は、外交辞令ではなく、本音で話し合えるチャンネルを作っておく必要がある」という意図の元に作られたという。
全斗煥
中曽根首相の就任から間髪を入れない訪韓は、教科書問題が沸騰した直後にもかかわらず、学生など少数の左翼過激派を除く韓国人一般に好意的に受け止められた。日韓関係はその後、紆余曲折を経ることとなり、全大統領も部下だった盧泰愚が大統領となるや政治力を奪われ、つづく左翼政権下のもとで冷遇された。そうしたなかで、中曽根氏が、全氏の来日の際には必ず付き添うなど、過去の盟友に対しての一貫した友情は、ながく続いた左翼政権には批判的で、なおかつ植民地支配も経験した保守的な韓国人高齢者の間でも好意的に受け止められている。
宗教関連
禅
中曾根は自著において宗教観を語っており、どの宗教も心の底から信じられないとするが、座禅だけは好んで行っている[2]。
世界基督教統一神霊協会