日米関係訪米時にアンドリュース基地に到着した中曽根と妻の蔦子アメリカのロナルド・レーガン大統領と中曽根の別荘日の出山荘で歓談する中曾根
1982年11月当時、日米関係は最悪と呼べる状態だった[3]。時代背景は、ソ連が大陸間弾道ミサイルSS20をヨーロッパに配備して、それに対抗する形でアメリカはパーシングIIを配備しようと計画しており、東西冷戦構造が一段と厳しさを増し、一触即発の事態にもなりかねない核の脅威の中で、西側の首脳達は厳しい外交の舵取りを行っていた。そんな中、アメリカのロナルド・レーガン大統領は、アジアがまったく無防備であることを念頭において、日米共同宣言の中で「日米で価値観を一体にして防衛にあたる」とした。
1981年5月、当時の首相である鈴木善幸は、初めて『シーレーン千海里防衛術』を公表するが、渡米の帰りの機中で「日米安保条約には軍事的協力は含まれない」と発言し、帰国後には「日米同盟に軍事的側面はない」と語って、共同声明に対する不満を表明してしまい、アメリカの世論を怒らせた。
そして参議院本会議では、伊東正義外務大臣と日米同盟の解釈をめぐって対立し、伊東正義外務大臣が辞任するという前代未聞の事態にまで発展してしまう。これに武器技術供与の問題が重なる事となる。大村襄治防衛庁長官がワシントンでワインバーガー国防長官と会談した際に、アメリカ側から武器技術供与は同盟国に対しては「武器輸出三原則」の枠外にしてほしいと頼まれていたのに、鈴木首相はこれに対応しなかった。
おまけに伊東正義外務大臣の後任である園田直が、韓国との関係まで損なう事件まで起こしてしまう。事の経緯は、韓国が、防衛および安全保障に絡み、5年間で60億ドルのドルの政府借款要請したことに対して、園田は経済協力を切り離しを要求して40億ドル以下に削減、その上「資金をもらう方が出す方に向かって、びた一文安くすることはまかりならんと言うのは筋違いだ」というような発言をしてしまい、韓国の反発を招く。中曾根は総理になる前から、最初にこれらの問題を解決してしまおうと密かに計画する。
1983年1月の訪米にあたって、直前に韓国を訪ね、急ぎ日韓関係の修復を図り、アメリカが御執心だった防衛費の増加と対米武器技術供与の問題は、中曾根の判断で反対する大蔵省主計局と内閣法制局を押し切って問題を決着させた。これらの成果を手土産に、中曾根は首相になって初めての訪米の途についたのである。
訪米中に中曾根が語ったとされる「日本は不沈空母である」「日米は運命共同体」発言、さらには三海峡(千島・津軽・対馬)封鎖発言により、アメリカとの信頼関係を取り戻し、ロナルド・レーガン大統領との間に個人的な親密関係(「ロン・ヤス」関係)を築くことにも成功して日米安全保障体制を強化した。しかし、これは、米国への隷従と取るむきもあり、また、ヤスはロンのつかいっぱしり(Messenger boy)と批判されることもある。また、日米の通商、経済摩擦が深刻化したため、アメリカの貿易赤字に対処するために日本国民に輸入品の購入(特にアメリカ製品を最低100ドル分 当時の為替レートで1万3千円相当)を呼びかけるなど、アメリカの要求には素直に同じたりもした。この時の広告が「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」だった。
マイナス面として、自民党内の講演で「アメリカの知的水準は非常に低い」と発言してしまい、アメリカ下院に中曾根非難決議案が提出される一幕もあったが、この決議は首相の陳謝により後に取り下げられている。
有名な外交記者オーバードルファーの質問に「日本の防衛のコンセプトの中には海峡やシーレーンの防衛問題もあるが、基本は日本列島の上空をカバーしてソ連のバックファイアー爆撃機の侵入を許さないことだと考えている。バックファイアーの性能は強力であり、もしこれが有事の際に日本列島や太平洋上で威力を発揮すれば日米の防衛協力体勢はかなりの打撃を受けることを想定せざるを得ない。したがって、万一有事の際は、日本列島を敵性外国航空機の侵入を許さないように周辺に高い壁を持った船のようにする」と答えたものを通訳が「unsinkable aircraft carrier」つまり「不沈空母」と意訳したのだった。
後日オーバードルファー記者から、中曾根の秘書官に電話が入り、録音テープを調べなおしたが「不沈空母」なる言葉がなかったので、正確な内容をもういちど記載すると言ってきたが、中曾根は即座に訂正の必要はない、と答えさせた。
ウィリアムズバーグ・サミット1983年、アメリカバージニア州ウィリアムズバーグでの先進国首脳会議にて(右から3人目)
中曾根は、1983年5月に開かれたウィリアムズバーグ・サミットに出席している。議題の中心は、ソ連がヨーロッパで中距離核ミサイルSS20を展開したことに対し、アメリカがパーシングIIクルーズ・ミサイルを配備すべきか否か、であった。
だが、前向きな姿勢なのは、アメリカのレーガン大統領とイギリスのサッチャー首相のみで、フランスのミッテラン大統領、西ドイツのコール首相、カナダのトルドー首相などは消極的な姿勢をとり、会議はいまにも決裂しそうな気配を見せていた。
そうした状況の中、中曾根は敢然と発言する。「日本はNATOの同盟国でもないし、平和憲法と非核三原則を掲げているから、従来の方針では、こういう時は沈黙すべきである。しかし、ここで西側の結束の強さを示してソ連を交渉の場に引きずり出すためにあえて賛成する。決裂して利益を得るのはソ連だけだ。