中日ドラゴンズ
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応援スタイル

鳴り物応援および チャンステーマも参照

選手別のヒッティングマーチを歌いながら、メガホンなどを叩くスタイルである。1980年代?1990年代初頭までの選手別応援歌は他の楽曲から流用したものが多く見られる(例:立浪和義ガラスの十代落合博満マグマ大使など)。1997年のナゴヤドーム移転後からは全国中日ドラゴンズ私設応援団連合が2つのチャンステーマと現監督落合博満の応援歌(上述したマグマ大使)以外は全ての選手応援歌を作曲・作詞して演奏している。1回の攻撃開始、7回の攻撃前、9回以降の攻撃前、得点時に「燃えよドラゴンズ!」を演奏する。他球団では得点時やラッキーセブンで曲が使い分けられたりするが、中日は得点時・勝利時等で全て燃えよドラゴンズを演奏するので、試合中に演奏される機会が非常に多い。応援歌が無い選手には「ガッツだドラゴンズ」(新人王資格あり)、「ドラゴンズマーチ」(新人王資格なし)が演奏される。過去は5年目までが「ガッツだドラゴンズ」、それ以降が「ドラゴンズマーチ」だったが、2004年?2005年オフシーズンに中堅所のベテランから5、6年目の選手を大量に解雇・放出したこと、大学生・社会人ドラフトの分離によって高年齢ながら入団後まもない選手が増えることが予想されることにより基準が3年目までに変更された。2007年シーズンは「ドラゴンズマーチ」に一本化していたが、2008年シーズンは基準を新人王資格の有無に改め、「ガッツだドラゴンズ」の演奏が復活した。

チャンステーマは3つある。

元中日ゲーリー・レーシッチらに使われた山本リンダの「狙い撃ち」(2002年後半から)。

通称「狙い撃ち」。2003年から青とピンクの手袋をはめて応援するスタイルを始めたが、あまり広まっていない。


元中日アロンゾ・パウエルの応援歌(2004年から)。

通称「パウエル」、又は「Get Victory」。下記の「川又」は歌詞つきであるが、「パウエル」は歌詞中に選手名を含むため、チャンステーマとしては歌詞なしである。


元中日川又米利に使用されていたささきいさおの「ぶっちぎりの青春」(2005年から。全国では2006年夏から)。

通称「川又」。初めは巨人戦限定、関東以北限定だったものの、2006年8月下旬よりナゴヤドーム等全国の球場でも使用されている。



他にも特徴的な応援としては、小田幸平が打席に立った時に「O・D・A」コール、タイロン・ウッズが打席に入った時の入場曲(メガホンダンス付きである)の演奏、井上一樹の入場曲の演奏(こちらはオリジナル)、井端弘和のファンファーレ等がある(2005年まで在籍してた大西崇之もファンファーレがあった)。

2008年は応援団の中でも主導的役割を担っていた竜心会、白龍会が暴力団との関係を理由に全球場を出入り禁止になってしまっている。それに抗議するため他の応援団も応援を取りやめた。当初は何のリードもない応援だったが、笛と太鼓による応援は復活している。ただしトランペットによる応援はしばらく復活しなかった。現在はホームでのみトランペットの応援が復活している。


ユニフォーム変遷

1936年 球団創設時のチームカラーは黒。左袖には金のシャチホコをモチーフにしたマークがつけられていた。帽子マークは現在の広島のものと同一。

1937年?1938年 金のシャチホコがユニフォームのマークとなり、その下には「NAGOYA」のマークがつけられていた。また、新愛知新聞のマークが左袖に付けられた。

1939年?1940年 球団創設時のユニフォームを復活。ロゴが黒で縁どりが赤。

1940年 ナチスハーケンクロイツを参考にしたロゴが登場。左袖にポケットがないのが特徴。

1940年?1942年 名古屋の「名」マークが赤に変更され、前立てラインが廃止される。

1943年?1944年 国防色の採用が義務付けられ、「名」マークが廃止された。

1946年?1947年 「CHUBUNIPPON」のロゴ登場。ビジター用に当たるグレーのユニフォームに「CHUNICHI」のロゴが登場。当時はペンキで書いていた。

1948年 この年から中日ドラゴンズとなるが、スペルが「Doragons」となっている(「トリビアの泉」でも取り上げられた)。ビジター用はライン部分をマイナーチェンジ。ホーム用のロゴはドジャースを意識していた。

1949年 中日の「C」と名古屋の「N」を組み合わせたロゴが登場したが選手からの評判が悪く1年で廃止された。

1950年?1951年 2リーグ分裂を機にユニフォームのスペルを「Dragons」に変更。また、夏場に縦縞ユニフォームが登場。

1952年?1959年 球団名が名古屋ドラゴンズとなる。その後名鉄が球団経営から撤退し中日ドラゴンズに戻るが、ユニフォームは継続使用された。1956年からビジター用が「CHUNICHI」に変更。帽子マークは名古屋時代は「N」マークだったが、中日になってからは「C」(書体は後の広島と同じもの)となった。

1960年?1961年 胸番号の装着を機にフルモデルチェンジ。えび茶が採用され派手なイメージとなる。帽子に中日の「C」とドラゴンズの「D」を重ねたマーク(CDマーク)が初登場。

1962年 濃人監督の出身球団・名古屋金鯱のチームカラーである紺と山吹を採用したユニフォームが登場。同時に帽子のマークを変更しCDマークが1968年途中まで使われたデザインとなる。

1963年?1964年 水色に近い明るいブルーが登場。同時に帽子・アンダーシャツ・ストッキングもブルーに変更。※いわゆる「ドラゴンズ・ブルー」のユニフォームが初登場。理由は主催試合の中継権をもつ中部日本放送東海テレビ放送が1964年から東海地区では初のカラー放送を開始するためそれに合わせたためだといわれている。

1965年?1968年 西沢監督の就任を機に紺と赤を基調としたユニフォームに変更。1967年からは「Dragons」のヒゲが長くなり、1968年からは日本プロ野球史上初のノースリーブユニフォームも登場(後述を参照)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki