中国の歴史を参照
中国の歴代王朝は自らが人類の唯一の国家でありそれ以外は国の辺境に過ぎないという態度を取ってきた。故に中華王朝には(対等な国が存在しないのだから)対等な関係の外交というものは存在せず、全て朝貢という形を取っていた。
しかし近世に入りロシア帝国の南下の圧力が強まるとやむを得ずロシアを国家と認めた。
中国は気候や風土の違いから大きく華北・華南・華東・華西に分けられる。華南人と華北人の気質の違いは古来からよく対比されてきており、日本人が関東人と関西人をよく対比するのと相似的である。華南と華北を区切るラインはほぼ秦嶺(チンリン)山脈から淮河(ホワイ川)に一致し、これは年間降水量1000mmのラインでもある(秦嶺・淮河線)。ここより南側の華南では湿潤で温暖湿潤気候 (Cfa) にあたり、アジア的稲作農業が行われる。長江(チャン川、揚子江)をはじめとして河川・湖沼に富み、水上交易も古くから盛んであった。華南地域の中心的都市は上海であり、現在も貿易の拠点として重要である。
これに対して華北は比較的乾燥して温暖冬季少雨気候 (Cw) や冷帯冬季少雨気候 (Dw) にあたり、畑作農業が中心となる。華北平原と呼ばれる平野地帯が広がり、陸上交通が発達した。華北の中心的都市は中華人民共和国の首都でもある北京である。こうした南北の風土の違いは「南船北馬」などの慣用表現にも反映されている。
また華北では異民族王朝として侵入したモンゴル人・満州人などとの混血が、華南ではもともと中原以南に住んでいた越人や?人といった異民族との混血・吸収があり、それぞれの言語や風貌に大きな違いを生じさせている。
古くから中国人は自分達の住んでいる黄河流域周辺を文明中心地として誇り、周辺地域を自分達の中国に対して辺境とみなし蔑んでいた。その地域に住む人をそれぞれ「北狄」(ほくてき)、「東夷」(とうい)、「西戎」(せいじゅう)、「南蛮」(なんばん)、「外倭」(倭寇)、と呼んでいた。
漢民族が多数を占めるが、中国東部の漢民族の版図とされる地域を含め、漢民族以外の数おくの民族が居住しており、中華人民共和国政府が公式に民族として認定しているものだけでも少数民族は56を数える。これら漢民族を含め、全ての民族を中華人民共和国憲法では「中華民族」と規定している。
黄河文明以来、中国は東アジアの文化の中心地であり周辺諸国へ多大な影響を与え続けた。
サミュエル・P・ハンティントンは『文明の衝突』で儒教を中心とした儒教文明と呼んでいる。
関連項目
中国の世界遺産
中国の少数民族
チベット
東トルキスタン
中国大陸
中華人民共和国
台湾
華流
脚注^ 彼らのもたらす絹はセーリコン(σηρικον)と呼ばれ、英語やロシア語などで「絹」を表す言葉の由来ともなっている。
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カテゴリ: 中国 | 文明
更新日時:2008年8月12日(火)15:31
取得日時:2008/09/06 09:42