(The New Encyclopaedia Britannica, 1997)
古代漢語(紀元前15世紀ごろ ? 2世紀ごろ)
漢字の原形とされる甲骨文字(1899年に発見)が使われていた。
文法的に重要な役割を果たしていた接辞や不変化詞による修飾語の形成があったが、後期になると衰え始めた。
人称代名詞に格があった。今でも一部が客家語や湘語に残っている。
この頃の文献としては、諸子百家にまつわる書が残っている。
声母(頭子音)に複子音 sl-, pl-, kl-(例: 「監」*klam) などが存在した。
韵母の尾子音は豊富だった(例:「二」 *gnis)。
語順はタイ語的な完全なSVO型だった。(例: 呉 敗 越 于夫椒 「呉は夫椒で越を破った。」 S-V-O-Adv ⇔ 現代語: 呉軍 在夫椒 把越軍 打敗了。 S-Adv-O-V) (橋本、1978)
殷まではタイ語的な名詞-形容詞の語順および普通名詞-固有名詞の語順だった。(例: 殷の帝辛 ⇔ 周の武王) (橋本、1978)
中期漢語(3世紀ごろ ? 宋代)
秦の全国統一によって、中原の言語が各地に伝播した。
2音節の熟語、動詞・名詞の範疇が発達した。
動詞の活用が消滅し始め、孤立語的な特徴を帯びるようになる。
当時、東・東南アジアにおける「国際語」的な地位になっていた。
李白・杜甫・韓愈など偉大な詩人・文人を輩出した。
漢字の字体が統一され、規範的な字書が作られた。また、科挙試験によって、発音、字体、文法など、規範的な言語の使用が促進された。
近代漢語(元代、明代、清代)
語彙面、文法面で、文語と口語の差が広がった。明代から清代には、口語小説が広く書かれるようになった。
元代と清代には北方語を中心にアルタイ語の影響を大きく受けた。
元代口語には文末助詞の「有」が多用された。
都のあった北京の言葉を中心に中国語の統一がさらに進んだ。
現代漢語
辛亥革命(1911年)に前後して「官話」から「國語」に呼称が変わった。台湾ではその名が今でも受け継がれているが、中国本土ではその後中国共産党が北京方言を簡略化したものを採用し、「普通話」と再び名を改めた。
1917年に、胡適を中心として書き言葉を「文語体」(文言文) から「口語体」へ変えようとする動き(白話運動)が広がり、文学革命が起こった。陳独秀の『新青年』や魯迅の『阿Q正伝』が有名。
1919年の五・四運動で、民族意識が高まり、中国標準語の普及に一層拍車がかかった。
中華人民共和国では、正書法として簡体字が採用された。
中国語を第一言語としている人は一般的に約12億人と言われており、かつ、第二言語としても約2億人が使用している、世界で最も多くの人口に話されている言語である。同じ中国語であっても、例えば、北京語(北方語の一つ)と広州語(粤語の一つ)と上海語(東部に分布する呉語の一つ)では発音、語彙ともに大きく異なるだけでなく、文法にも違いがあるため、直接会話するのは非常に困難であるが、共通の書面語(書き言葉)が発達しているため、字に書けば意思疎通は比較的容易である。
中国語の各「方言」は共通の文字組織(漢字)を持っているものの、異なる大方言話者との会話による相互理解は事実上不可能に近い。よって、方言話者では学校教育や放送で使われる「普通話」とのバイリンガルとなっていることが多い。
方言区分は議論のあるところであり、いくつに分けるか学者によって異なっている。二分類では、長江が南北の等語線とほぼ等しく(南通、鎮江などは例外)、これより北と西の内陸部が「北方語」(および晋語)、これより南がその他の方言地域に分類することができる (Encyclopadia Britannica, Inc., 2004)。また、北方(ほっぽう)・呉(ご)・?(かん)・湘(しょう)・?(びん)・客家(はっか)・粤(えつ)に分けるのが七大方言であり、さらに晋(しん)・徽(き)・平話(へいわ)を独立した大方言と考える十大方言もある。