2007年現在、指導思想として、マルクス・レーニン主義(マルクス主義)、毛沢東思想、?小平理論、さらに江沢民が提唱した思想理論「3つの代表」思想と胡錦濤が提出した「科学的発展観」を掲げている。
宗教には否定的で、文化大革命当時、「宗教はアヘンである」というマルクスの言葉に忠実な紅衛兵によって聖職者は弾圧され、宗教施設は破壊行為により甚大な被害を被った。 文革終了後、民族間関係の緊張を危惧した共産党は宗教政策を修正し、一定程度の宗教活動を保障し、宗教施設も修復されるようになった。党はこれをもって「信仰の自由が保障されている」と主張しているが、依然、「民族分裂主義者」として厳しく糾弾するダライ・ラマの写真を掲げることは禁止され、メッカ巡礼も自由に行えないなど、宗教に対する締め付けは残存していて、あくまでも当局の管理下においてしか宗教活動は行えない。
中華人民共和国は民主主義国家ではなく、中国共産党の一党独裁体制である。反対政党がない独裁体制のため共産党が打ち出した政策は迅速に発令される(反対政党が事実上存在しないため)。そのために中国共産党は、「自党に都合の悪い」と判断した出版物や各メディアに対する閲覧や出版や公開停止などの厳格なメディア統制をしている。経済が発展した今でも、マスメディアを利用して愛国教育や反日報道・ドラマをして言論統制をしている。
機構
中国共産党の最高指導機関は、5年に一度開催される全国代表大会である。 閉会期間中は大会で選出された中央委員会(毎年少なくとも1回開催)がこれを代行する。 中央委員会全体会議は、中央政治局委員、中央政治局常務委員、中央委員会総書記を選出し、中央書記処メンバーを選出する。
中国共産党中央政治局と常務委員会は党の最高意思決定機関であり、中央委員会総会の閉会期間に中央委員会の職権を行使する。 総書記が中央政治局会議、中国共産党中央政治局常務委員会会議を招集する。 現在(第17期1中全会選出)の政治局委員は25人。 うち、政治局常務委員は胡錦濤(総書記)、呉邦国、温家宝、賈慶林、李長春、習近平、李克強、賀国強、周永康の9人で、党の最高指導部を形成している。 毛沢東時代には形骸化し、毛沢東の恣意的な決定が頻繁になされた。 そして?小平時代になっても、こうした傾向は継続したが、現在では改められている。
中央書記処は、中央政治局のもとに設置された日常活動を処理する事務機関。総書記が中央書記処の活動を主宰する。 現在、書記は習近平らx人。
中央軍事委員会は、国家中央軍事委員会と一体となって人民解放軍を指揮する軍事の最高機関。事実上、中国人民解放軍は党が指導する軍隊である。 2004年9月以降の委員は11人で、うち主席は胡錦濤、副主席は郭伯雄、曹剛川、徐才厚の3人。
中央規律検査委員会は、党の規律検査を担当する機関。委員は全国代表大会で選出される。書記は呉官正。
党の直属機関として、組織部、宣伝部、統一戦線工作部、対外連絡部、弁公庁、政法委員会、政策研究室、台湾工作弁公室、中央党学校、人民日報社など20の機関が設置されている。
党の地方組織は、地方各級ごとに代表大会、党委員会、常務委員会、書記などが置かれている。 中央と同じく、任期は5年。
中国共産党員は中華人民共和国社会のエリートであり、行政、立法、司法、軍、大衆組織など、社会のあらゆる部門に末端組織である党組を設け、指導している。共産党員に成るためには厳格な審査があり一般の人は簡単にはなれない。一つの途としては、学校で学業優秀だったり芸に秀でるなどして、選抜されて共産党青年団メンバーになり、その活動結果と党員の推薦により、党員になれる途がある。そのエリートでもイデオロギーと政治活動よりは金儲けに精を出す党員がいて、独裁体制の弊害が出ている。
中国共産党の初期の指導者は、多くが日本への留学経験を持つ。マルクス主義理論家の李大?〔李大ショウ(※金偏に立刀)〕や東京生まれの廖承志は早稲田大学で、毛沢東体制で長く首相を務めた周恩来も1917年から1919年まで東京の専門学校(現在の明治大学)で学んでいる。日本共産党でも中国共産党と協力して抗日運動に協力した例が多く、野坂参三はコミンテルンの日本代表として延安で日本人民反戦同盟を指揮した。 共産党はコミンテルン(ソ連)の指示で、当時の蒋介石政権に抗日戦争を呼掛けて、日中戦争を導いて最後は日本の敗北に至らせた功績を誇る。
第二次世界大戦で日本が敗れると、ソ連軍の協力で中国東北部を支配した中国共産党は、当時は国の政権を担ってなかったが満州国などの日本人指導者層の多くを戦争犯罪人と称して殺害した。 一方、現地に留まった日本人の中には、国共内戦で共産党軍に協力し、中華人民共和国成立後も残留する者もいた。 ただし、文化大革命が始まると残留日本人の多くは激しい批判の対象となり、帰国する者も現れた。 また、廖承志などの党内知日派も自己批判を要求され、ほとんど失脚した。
日中共産党の関係は、1950年代前半の日本側の党分裂時代でも維持され、中ソ対立でも日本共産党は当初中華人民共和国側を支持した。 しかし、1966年に訪中した日本共産党委員長 宮本顕治は毛沢東と意見が対立し、その後は両党機関紙での激しい非難合戦が続いて、両党の関係は断絶した。日本側の親中派は「日本労働党」、「日本共産党 (左派)」、「日本共産党 (マルクス・レーニン主義)」(後の労働者共産党)などを結党した。 一方、日本社会党との関係は委員長 浅沼稲次郎が1959年に「米帝国主義は日中人民共同の敵」と述べたように、文化大革命時代も相互自立の関係を維持した。 社会党には「野党外交」を展開できるメリットがあったともいえる。
1972年に日中両国の国交が回復し、文革が終結すると、廖承志の復権(中日友好協会の初代会長へ就任)や両国指導者の相互訪問の増加などで中国共産党と日本社会との関係は再び深まり、自由民主党や公明党なども対象としてより多層に広がっていった。日本では1995年頃から日本社会党の勢力が後退した。その為中国共産党は日本共産党との和解を模索し始め1998年には日本共産党幹部会委員長(当時) 不破哲三の訪中で両国共産党の関係も正常化した。2005年には、若手幹部が訪日し、両党で理論交流を行うなど、活発な交流を行っている。
現在の中国共産党の対日担当者は、党中央委員 唐家?〔唐家セン(※王偏に「旋」)〕(国務委員、前外相)などのように、日本と中華人民共和国の間の国交が無い時代の中華人民共和国国内で研修を積んだ世代が中心であり、今後は再び国交回復後の日本留学者が多く関わってくる事が予測される。
中国共産党の対日政策は1935年の抗日戦争呼掛けに始まる。