近世以前
多摩川の流域平野には古い時期から居住が見られ、現在までに上丸子古墳などが発掘されている。
奈良時代に常楽寺が創建される。
平安時代初期に日枝神社が創建される。
12世紀後半に春日神社が創建され、この地域の荘園を支配する。
1604年、江戸と相模国中原(現在の平塚市中原)を結ぶ中原街道が定められ、丸子の渡しなどが整備される。
1608年、中原街道に小杉御殿が建造される。以後、多摩川による江戸防衛や将軍の鷹場の拠点として利用される。
1611年、二ヶ領用水が完成し、農業生産力が向上する。
1655年、東海道の重要性増加に伴い、小杉御殿が取り壊される。
1673年、中原街道の宿場として小杉宿が整備され、府中街道との交点になる小杉十字路を中心に繁栄する。
近代
1889年(明治22年)、市制町村制の施行に伴い、橘樹郡の小杉村、上丸子村、宮内村、上小田中村、下小田中村、新城村の6か村が合併し、橘樹郡中原村に。
また、同時に橘樹郡の木月村、苅宿村、今井村、市ノ坪村、井田村、北加瀬村の6か村が合併し、橘樹郡住吉村に。
1912年(明治45年) 東京府(現東京都)との境界が整理され、多摩川以南の地域(荏原郡玉川村大字等々力の内)が編入される一方、以北の地域(大字小杉の内)が離脱して荏原郡調布村に編入される。
1925年(大正14年)、中原村と住吉村が合併し、橘樹郡中原町に。(ただし、住吉村の大字北加瀬は日吉村に編入される。)
1926年(大正15年)、東京横浜電鉄(現在の東急)丸子多摩川(現在の多摩川)−神奈川(現在の横浜駅付近)間が開業し、町内を初めて鉄道が走る。
1927年(昭和2年)、南武鉄道(現在のJR南武線)川崎−登戸間が開業する。
1928年(昭和3年)、ガス橋が完成する。
1933年(昭和8年)、8月1日、中原町が川崎市と合併する。
1936年(昭和11年)、中丸子に日本電気玉川事業所が建設される。
1938年(昭和13年)、武蔵中原駅前に富士通信機(現在の富士通)が川崎工場を建設する。この時期に電気・機械の各工場が進出する。
1945年(昭和20年)、小杉、丸子、武蔵中原駅前付近が米軍の空襲を受ける。
1945年(昭和20年)、東横線に武蔵小杉駅が設置され、後に区内交通の拠点となる。
現代
1960年(昭和35年)、法政二高が全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で優勝する。
1964年(昭和39年)、等々力の砂利採掘場跡が緑地化し、等々力陸上競技場が完成する。
1972年(昭和47年)、4月1日、川崎市の政令指定都市移行に伴い、中原区が発足する。
1988年(昭和63年)、等々力緑地に川崎市市民ミュージアムが完成する。
商店街
平間銀座商店街(平間)
法政通り商店街(武蔵小杉)
ブレーメン通り商店街(元住吉)
オズ通り商店街(元住吉)
あいもーる商店街(武蔵新城)
新城サンモール商店街(武蔵新城)
新丸子東栄会(新丸子)
With Mall(新丸子)
事業所数・従業員数は、ともに川崎市内では川崎区についで多い。従業者数では、サービス業(48.9%)、卸売・小売・飲食店(22.5%)、製造業(17.0%)の順となる(平成13年度、川崎市)。大規模な事業所としては、富士通本店・川崎工場、NEC玉川事業場、三菱ふそうトラック・バス川崎製作所などがある。そのため、これらの企業の関連会社が数多くある。また、キヤノン、サントリー、ケーヒンなどの事業所もある。
大学・短期大学
日本医科大学新丸子キャンパス
高校
法政大学第二高等学校
川崎市立橘高等学校
神奈川県立住吉高等学校
神奈川県立新城高等学校
神奈川県立川崎工業高等学校
大西学園高等学校
中学
川崎市立平間中学校
川崎市立玉川中学校
川崎市立中原中学校
川崎市立西中原中学校
川崎市立住吉中学校
川崎市立今井中学校
川崎市立井田中学校
川崎市立宮内中学校
大西学園中学校
法政大学第二中学校
小学校
川崎市立下河原小学校
川崎市立玉川小学校
川崎市立苅宿小学校
川崎市立西丸子小学校
川崎市立木月小学校
川崎市立東住吉小学校
川崎市立井田小学校
川崎市立大戸小学校
川崎市立大谷戸小学校
大西学園小学校