日本語の「(男性の)皇太子」にあたる語は、英語ではCrown Princeであり、ドイツ語ではKronprinzである。これは実際にドイツなどで称号として用いられたものである。
この語は、今日では主にスカンディナヴィア諸王国の王太子の呼称として用いられる。たとえば、2007年10月現在のスウェーデンの女性皇太子ヴィクトリアは、HKH Kronprinsessan Victoriaと呼ばれ、これは英語に直訳するとHRH Crown Princess Victoriaとなる。
一方、神聖ローマ帝国の皇太子には「ローマ王(Rex Romanorum)」の称号が授けられていたが、これはハプスブルク家による帝位世襲化以降のことである。ハプスブルク家の皇帝は、次期皇帝としての「ローマ王」の称号を自家の後継者に与えることで、帝位の世襲を維持した。これとは異なるが、フランス皇帝ナポレオン1世も息子ナポレオン2世を「ローマ王」に任命している。
なお、サラエボで暗殺されたフランツ・フェルディナント大公は、オーストリア大公としてオーストリア=ハンガリーの帝位および王位の継承者ではあったが、Kronprinzの称号は有していなかったため、日本語でもごくまれに皇太子とは呼ばない事がある。
オランダ・スペインなどにおいても、上記の諸国と同様に貴族としての儀礼称号が王太子に与えられる。オランダ王太子の称号である「オラニエ公(Prins van Oranje)」は、オランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家当主が、オランダ王国成立以前には南フランスのオランジュ(Orange、オランダ語でOranje)の領主・オラニエ公でもあったことに由来する。スペインの王太子は「アストゥリアス公(Pr?ncipe de Asturias)」の称号を持つ。
フランス王国では王太子に「ドーファン(dauphin)」の称号が与えられた。元々はフランス南東部のドーフィネ(Dauphin?)地方の領主の称号であったが、1349年に同地方を併合して王太子領として以降、王太子の称号となった。
ロシア帝国では、上記の諸国のような貴族的称号ではないが、皇太子に対して「皇帝(ツァーリ)の息子」という意味の語である「ツァレヴィチ(царевич, tsarevich)」という呼称が用いられた。
朝鮮半島においては、高麗のモンゴル干渉期から李氏朝鮮まで他国の冊封体制下にあったため太子の称号が使えず、国王の継承者は「王世子」と呼ばれていたが、日清戦争の結果、下関条約が結ばれた事により清国の冊封から外れ、国号を大韓と改めた際に「皇太子」を使うようになった。
しかし韓国併合により朝鮮は日本の植民地となり、旧皇帝家は『王』家となり、その跡継ぎは王世子となった( ⇒前韓国皇帝ヲ冊シテ王ト為シ皇太子及将来ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ称呼ヲ定メ並ニ礼遇ノ件)。
注釈^ 「○太子」の言葉自体がいずれ「○」の地位を継ぐ「子」を意味するため、君主の地位が王である場合には王太子の名称を用いるのが正確であるが、現在の日本のマスコミなどによる報道では、対象が次期国王であっても「王太子」の語は用いられず、「皇太子」を用いる。これは「天皇(皇帝)か王の跡継ぎか」ではなく「殿下(His Royal Highness)」の称号に対応したものである。ただし歴史上の人物については、慣例に従って「王太子」の語も用いられる。また次期皇(王)位継承者が弟、孫であるなら、「皇(王)太弟」「皇(王)太孫」の名称を用いるべきであるが、実際にはひっくるめて「皇太子」の名称が用いられている。
関連項目ウィクショナリーに ⇒皇太子の項目があります。
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カテゴリ: 身位 | 君主号
更新日時:2008年6月15日(日)14:32
取得日時:2008/08/15 06:53