当駅は、東京と行き来する東北地方・北信越地方の人々にとって長らく東京の表玄関の役割を果たして来た。そのために文学や歌謡曲の分野で当駅を扱った有名な作品がいくつかある。石川啄木の『故郷の訛り懐かし停車場』で始まる短歌は有名である。また、井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』の歌碑が広小路口にある。1999年に使用を停止した後に線路を撤去した18番線は、集団就職で「金の卵」ともてはやされた東北地方からの若者を乗せた上京列車の到着ホームの一つでもあった。
中央改札上には、1951年(昭和26年)展示の、猪熊弦一郎作の壁画『自由』が掲げられていて、当駅を代表する光景ともなっている。その下にはLED式列車案内表示器が設置されているが、かつては、東北・奥羽・磐越西線は緑(杜の都・仙台をイメージ)、高崎・上越線は黄(越後平野の稲穂をイメージ)、高崎・信越線はピンク(信州のりんごをイメージ)、常磐線は青(太平洋の海をイメージ)、東北新幹線大宮開業時に設定された「新幹線リレー号」はクリーム色と、方面別に色分けされた木製の案内板が使用されていた。
グランドコンコースには朝倉文夫作のブロンズ像『つばさの像』、広小路口には『三相』がある。『つばさの像』は1958年、初の東北特急「はつかり」運転開始と当駅開業75周年を記念して台東区が寄贈し、当初は広小路口に設置された。
バブル期に磯崎新設計による地上300mの超高層駅ビルに建て替える構想があったが、その後のバブル崩壊と東北・上越新幹線の東京駅延伸による乗降客の減少などから、現在は立ち消えになっている。
南満州鉄道の大連駅と函館本線の小樽駅、および樺太庁鉄道(のち樺太西線)の真岡駅は当駅を模したとされる[要出典]。
戦後、周辺地域で地下水を汲み上げ過ぎたために地盤沈下が発生し、周辺の地下水利用が制限されている。そのため、逆に地下水が余剰となってしまい、床下等に合計3万トンもの錘を設置し、浮き上がりによる駅構造の変形を防いでいる。
利用状況
JR東日本 - 2007年度の乗車人員は1日平均181,099人である。JR東日本の駅の中では川崎駅に次いで第13位。
東京地下鉄 - 2007年度の乗降人員は1日平均211,749人である。東京地下鉄の駅の中では新橋駅に次いで第8位。
当駅は埼玉県・千葉県北西部・関東北部方面に直通する主要鉄道路線のターミナル駅である割りには比較的低順位となっている。これは、改札を通らない乗換客は乗降人員には計上されないため、宇都宮線・高崎線・常磐線からの利用者がそのまま山手線や京浜東北線に乗り換えて都心各方面に向かっていることの表れとも言える。なお、上位3位に入る新宿・池袋・渋谷は駅周辺に国内随一の繁華街を抱えることから、この繁華街への利用客が多いことに加え、改札が別となる幾多の鉄道事業者(私鉄・地下鉄)の路線が発着するため、他社線乗換えのみを目的とする旅客も利用者としてカウントされている。
しかし、JR東日本が提供している乗車人員ランクでは年度のたびに順位を落としており、2006年度は秋葉原駅より下に、2007年度にはついに北千住駅や川崎駅より下に転落した。
平日朝は当駅止まりの宇都宮線・高崎線・常磐線方面から降車後に3・4番線ホームに流れる人の波が絶えず続き、同ホームを発着する山手線・京浜東北線電車に一斉に乗り込む(中央乗換通路の御徒町側にあるエスカレータには、駅員による整列の上、同ホームへ昇るための行列が作られる)。この影響で、山手線と京浜東北線の上野?御徒町間は平均乗車率215%という日本一の混雑区間である。だが、2013年度開業予定の東北縦貫線により、乗り換えが解消されると共に、同区間の乗車率も180%程度に抑えられると試算されている。
周辺の施設などへ立ち寄る際、便利な出口毎に記載する。ただし、大まかな位置を示すのみのため、利用の際は各自調べられたい。
上野も参照
駅周辺、上野公園航空写真
西郷隆盛
JR・広小路口(2006年3月26日撮影)JR・入谷口(2007年7月撮影)JR・公園口(2007年8月4日撮影)JR・パンダ橋口(2007年8月4日撮影)
丸井
アメヤ横丁(アメ横)へ
浅草口・東上野口(JR)、1?3番出口(東京メトロ)
台東区役所
東京地下鉄本社 - 1,2番出口と地下で直結している。
昭和通り
浅草通り
入谷口(JR)
学校法人明昭学園