長江河口南岸に位置し、河口島である崇明島、長興島、横沙島などを含む。北部から東部は江蘇省・西南部は浙江省と接する。東は東シナ海(東海)に面する。市街地は長江の支流である黄浦江を遡ったところにある。黄浦江の河口は呉淞口と称して港があり、崇明島などの島や市外への航行に用いられている。近年、高層ビル密集率で世界一となり、そのため建ちすぎにより地盤沈下を起こす場所も出てきている。
中国の戦国時代、今の上海あたりは春申君の封地だったため、今も申と称す。また滬(魚を捕る道具)とも呼ばれる。
上海の地は唐代には華亭県の一部だったが、蘇州河の南に上海浦という村ができ、宋代に上海鎮とよばれるようになった。これに対し黄浦江下流の現虹口区あたりには下海廟も存在した。1292年に上海県となったが、もともと江蘇省に属した。
アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により上海は条約港として開港した。これを契機としてイギリス、フランスなどの租界が形成された。1865年に香港上海銀行が設立されたことを先駆として、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。1871年には香港と上海を結ぶ海底通信ケーブルが開通し、日本の長崎にも延伸された。1920年代から1930年代にかけて上海は極東最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心にアジア金融の中心となった。上海が魔都或いは東洋のパリとも呼ばれナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。こうした上海の繁栄は、民族資本家(浙江財閥など)の台頭と労働者の困窮化をもたらし、労働運動が盛んになっていた。
1925年に上海から始まった五・三〇運動は、中国における大規模な民族運動とされるが、同時に労働者・社会主義運動の台頭を示した事態であった。こうした状況を懸念した浙江財閥は、蒋介石と提携し反共クーデタ(上海クーデター)を決行させた。なお、中華民国の下で1927年に上海特別市となり、1930年5月、上海直轄市が成立している。
1932年には上海事変が起こり、日本軍機の爆撃を受け、1937年に勃発した日中戦争で日本軍に占領された。1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港に撤収したが、1950年代から1960年代にかけては工業都市として発展した。
1978年の改革開放政策により、再び外国資本が流入して目覚しい発展を遂げた。現在も1992年以降本格的に開発された浦東新区が牽引役となって高度経済成長を続けている。また上海市指導部から江沢民、朱鎔基、呉邦国、曽慶紅、黄菊ら中華人民共和国の国家主席、総理などの指導部を輩出している。
上海市は18の区、1の県に区分されている。上海黄浦区(浦西)上海・浦東新区の高層ビル群の夜景上海展覧センター(上海工業展覧館)
黄浦区 - 2000年に黄浦区と南市区が合併。市人民政府やバンド地区が所在する上海中心部。旧イギリス租界、20世紀からの金融や貿易の中心地区である。
盧湾区 - 上海市でもっとも面積が小さい区であり、旧フランス租界、江南造船廠の所在地で、中国近代工業の発祥地である。中華イージスの旅洋級駆逐艦もここで建造された。ポンピドゥー・センターの分館を設置する計画が進行している。
徐匯区 - 上海市でもっとも豊かな地域である。中国科学院上海分院、中国航天院上海分院、上海映画撮影所など、数々のハイテク研究所、医療機関、大学などがある。旧上海時代資本家や有名人たちの旧居が数多く残っている。衡山路周辺には洒落た飲食店も多い。地下鉄徐家匯駅周辺では、近年オフィスビルやデパートが立ち並び発展が目覚しい。
長寧区 - 西にある天山新村は、かつての紡織労働者の団地である。改革開放後に設けられた虹橋新区は外国企業の事務所が多いビジネス地区となっている。日本を含む各国の領事館も区内に点在し、数多くの外国人が古北小区などに住んでいる。
静安区 - 中心部にある区で、静安寺の名に因む。第二次世界大戦以前の高級マンションが今も残っている。
普陀区 - 市の西北部にある。かつての紡織労働者の団地も多い。江沢民も上海市市長になる前に曹楊新村に住んでいたことがある。
閘北区 - 低所得者層が今も多い地区。1990年代に移転した現上海駅がある。
虹口区 - 第二次世界大戦前の、日本の租界である。かつて「小東京」と呼ばれた。横浜橋、西本願寺など史跡が残り、魯迅公園がある。
楊浦区 - 重工業の町。旧アメリカ租界、上海楊樹浦発電所、上海電表廠、上海光機所、上海柴油機廠などの所在地。市中心部にある区としては面積がいちばん広く、人口も120万人と最多の区である。「大楊浦」とも呼ばれる。
宝山区 - 旧宝山県が1988年に改称。日本の技術協力を得た宝山製鉄所の所在地である。
閔行区 - 旧上海県が1992年に改称。