年表
1590年頃 - 牟礼村、大沢村、上仙川村、下仙川村が成立。
1690年頃 - 上連雀村、下連雀村、野崎村、野川村、北野村が成立。
1725年頃 - 井口新田、深大寺新田、野崎新田、大沢新田が成立。
1889年(明治22年) - 市町村制の施行、および合併により、神奈川県北多摩郡三鷹村となる。
1893年(明治26年) - 東京府に移管。
1940年(昭和15年) - 町制施行により北多摩郡三鷹町となる。
1950年(昭和25年) - 市制施行により三鷹市となる。
1955年(昭和30年) - 武蔵野市との合併について、市議会が否決し、合併は実現しなかった[1]。
1989年(平成元年) ‐三鷹100周年記念行事を開催
地名由来
三鷹の名はかつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領にまたがっていたことに由来する(三領の鷹場)と言われているが、旧三鷹村役場火災による資料焼失のため、真偽は不明。
下連雀 - 明暦の大火による神田連雀町(現在:神田須田町・淡路町付近)からの移住者にちなむ(旧連雀新田)。
上連雀 - 旧連雀新田の西(京都寄り)に位置することによる(旧連雀前新田)。
牟礼 - 史料に出てくるものとしては、三鷹市の中で最も古い地名。1559年(永禄2年)に編纂された『小田原衆所領役帳』には「無連」としてその名が記されている。由来・語源については諸説あるが、いずれも定かではない。
井の頭 - 神田川の源流である井の頭池があることによる。
新川 - 1874年(明治7年)、野川村と上仙川村が合併した際に「新川村」と名付けられたことによる。
深大寺 - 古名刹深大寺のある旧神代村(現・調布市)の飛び地「深大寺新田」として開墾されたことに由来する。
井口 - 江戸時代に新田開発した井口家に由来する。
北野 - 下仙川村の北にあたり、野原が続いていたことに由来する。
野崎 - 深大寺の村続きの野原であったことや、武蔵七党・野与党の野崎光員が領したことによる説などがある。
大沢 - 湧水地により多くの沢があったからといわれるが定かではない。
中原 - 中仙川村の中央地区一帯の原野を指して名付けられた。もとは小字のひとつであったが、新住居表示の実施により、1965年(昭和40年)から町名として使われている。
三鷹市と全国の年齢別人口分布図(比較)三鷹市の年齢・男女別人口分布図
■紫色は三鷹市
■緑色は日本全国■青色は男性
■赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)
市長
清原慶子(自民党、公明党推薦、民主党支持)
任期:2007年4月30日〜2011年4月29日(2期目)
元東京工科大学メディア学部長。「みたか市民プラン21会議」共同代表時、引退した安田養次郎前市長の後継指名を受け立候補。自民・公明両党の推薦の他、日本共産党の事実上の支援を受け、民主党及び社会民主党の事実上の支援を受けた無所属の前市議会議員(元市議会副議長)高井章博と、革新系無所属の元市議会議員太田正子を破り初当選。ただし、この時は、有効投票数の相対過半数を獲得できなかった。2007年4月の選挙に向けて、民主党三鷹支部も清原支持を表明。オール与党体制が確立した。2007年4月の選挙では、日本共産党推薦の元市議会議員藤沢時雄との一騎打ちとなったが、トリプルスコアで圧勝した。
市議会
議員定数28人(法律上限数34人)
議員数28人
任期 2007年5月1日 - 2011年4月30日
常任委員会
総務委員会(定数7人)
文教委員会(定数7人)
厚生委員会(定数7人)
建設委員会(定数7人)
特別委員会
調布基地跡地利用対策特別委員会(定数9人)
東京外郭環状道路調査対策特別委員会(定数9人)
議会運営委員会(定数8人)
会派構成
三鷹市議会政新クラブ(自民党系) - 11人
三鷹市議会公明党 - 5人
三鷹市議会民主党 - 4人
日本共産党三鷹市議会議員団 - 4人
にじ色のつばさ - 4人
独自の施策
コミュニティ行政
自治基本条例自治体運営の基本理念を記したもので、自治体の憲法に相当する。
みたか市民プラン21会議
日本の自治体で最初に下水道100%を達成
SOHO支援事業
広域事務
西東京、武蔵野、小金井、および本市の4市で、公共施設の共同利用を行っている。
東京都市収益事業組合 - 西東京、福生、狛江、東大和、清瀬、東久留米、武蔵村山、および本市の8市で構成。競輪事業を共同運営する組織であるが、2007年3月に立川競輪などすべての事業から撤退した。
ふじみ衛生組合 - 調布市及び本市の2市で、不燃ごみの共同処理を行っている。
東京たま広域資源循環組合 - あきる野市、日の出町、奥多摩町及び檜原村を除く東京都多摩地域各自治体で、ごみの最終処分を行っている。