父は会社員、母は料亭の娘。幼い時期を北海道で過ごしたのち千葉県市川市で育つ。父方の叔母に元女優の水の江瀧子がいる。小学生当時、水の江の家へ遊びに行くと俳優たちから多額のお年玉を貰い、その額が30万?40万円に達していたという[1]。このことについて三浦自身は「嬉しかったけど、大人を見くびることにはなったよね。どうしても歪むだろうね」と語っている[2]。水の江は石原裕次郎を育てた日活のプロデューサーでもあり、三浦自身も石原宛の何万枚という年賀状のお年玉くじの整理を頼まれ、当選品を石原からプレゼントされるなど、石原とは当時接触があった[3]。
水の江から俳優になることを勧められ[4]、水の江のプロデュースする映画で石原裕次郎の少年時代を演じる子役として出演したことがある[5][6]。子役時代、撮影所のスチール担当者から「水の江さんの子供なんだから、やっぱり大きくなったら役者になるんだろう」と話しかけられたことがあり、三浦自身もこの実子説を信じていた時期があったが、1985年には「水の江滝子の実子説というのはなんの根拠もありませんよ」とはっきり否定するようになった[7]。日立市へロケに行ったとき、芸能界の嫌らしさに愛想が尽きて勝手に帰宅、そのまま芸能界から引退した[8]。
神奈川県大和市立渋谷中学校在学中、複数回の家出を経験[9]。教師と喧嘩して窓から飛び出し、そのまま家から数十万円を持ち出して大阪に行ったこともある[9]。このころ、精神病院に入れられたこともあるという[9]。
ミッキー安川の『ふうらい坊留学記』に影響されて海外に出ることを志し、中学卒業後は技術を身につけるために陸上自衛隊少年工科学校を受験するも失敗し、整備工となる[10]。左利きであるため、整備工としては重宝されていたという[11]。
やがて学歴の必要性を感じ、横浜市立戸塚高等学校に進学。しかし1966年、放火などの容疑で逮捕され水戸少年刑務所で7年間服役した[5]。この間、横浜少年鑑別所からの脱走歴がある。
「ロス疑惑」詳しくはロス疑惑を参照。
1981年に当時の妻がロサンゼルスで何者か銃撃され死亡した事件に関して、1984年に週刊文春をはじめとするマスコミにより『保険金目当ての殺人であり、その黒幕である』との報道がなされ(いわゆる「ロス疑惑」)、また三浦自身もテレビなどのメディアに積極的に露出し(逮捕時はテレビ朝日の”独占密着取材”中であった)、その特異なキャラクターが視聴者(読者)の興味を引いた事も相まって、ワイドショーや雑誌、全国紙など日本中のマスコミによる過熱報道が行われた。その結果、三浦本人のプライバシーが著しく侵害された[12]だけでなく、マスコミによる住居不法侵入や私信の無断開封などの行為が公然と行われていた。
過剰報道騒動の最中の1985年、三浦夫人銃撃事件の4ヶ月前に起こった三浦夫人殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕され、後に銃撃事件での殺人罪と詐欺罪で再逮捕された。殴打事件では懲役6年の有罪が確定したが、銃撃事件の裁判では検察側は実行犯を特定できないことがネックとなり三浦の関与の事実を立証する事ができず、1998年の東京高裁で無罪判決を受け、2003年には最高裁でも無罪判決となった。この事件に絡み三浦が拘置所や刑務所にいたのは13年間にものぼる。この事件を機に報道被害の問題などでも積極的に発言を行っていた。
2003年5月8日に東京都港区赤坂で書籍を万引きして現行犯逮捕されたが、不起訴処分となった[13]。また、2007年4月5日にも神奈川県平塚市のコンビニエンスストアで、サプリメントを万引きした容疑で逮捕される[13][14]。三浦はその少し前に当該コンビニで万引きの疑いが濃い不審な行動をしていたところを防犯カメラに撮影されており、防犯カメラに残されていた映像を見た店側が三浦の顔を覚えて警戒していた最中の犯行であった[13]。小田原簡裁が罰金30万円の略式命令をして、三浦は罰金を納付した。