三浦半島
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後にこの系統は戦国大名化し、扇谷上杉氏被官となるも、伊豆北条早雲が相模国に勢力を拡大し、1516年に三浦氏を攻めるために玉縄城を築き、籠城した三浦義同三浦義意を住吉城から新井城に攻めて滅亡させると、三浦半島は後北条氏の領地となる。戦国時代には三浦半島は後北条氏の水軍の本拠となり、東京湾を挟んで里見氏とが争う。里見義堯は水軍を率いて三浦半島を襲撃し、鎌倉まで攻めて北条氏綱と戦う。江戸時代初期は玉縄を本拠とする本多正信の領地で、江戸幕府直轄の天領であった。1600年ヤン・ヨーステンとともに「リーフデ号」で日本に来航したイギリス人ウィリアム・アダムス徳川家康の外交顧問となり、三浦半島に領地を貰い、日本名を三浦按針とした。

鎖国後の江戸時代には浦賀の町に廻船問屋が並び、徳川吉宗浦賀奉行を設置する。後期には「モリソン号」や「マリナー号」など外国船が日本近辺に出現して測量などを行い、鎖国政策をとる江戸幕府に対して開国を求めるようになり、幕府は江戸湾防備のために会津藩に三浦半島沿岸の警備を命じる。1853年にはマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に入港し、幕府に通商を迫った(黒船来航)。洋式砲術を研究していた幕臣の江川太郎左衛門は三浦半島に砲台を築いて防衛線とすることを提言するが退けられた。

明治後には三浦半島は国防上の要衝地と認知される。横須賀には横須賀鎮守府が設置され、日露戦争において黄海海戦日本海海戦で旗艦として活動した戦艦三笠」の本籍地であった。この「三笠」は日露戦争後に火災で沈没し除籍となるが、保存工事が施され三笠公園に現存する。太平洋戦争の末期には、アメリカ軍の本土上陸に備えて沿岸陣地も築かれた。

戦後には消滅した日本軍に代わりアメリカ軍や警察予備隊(現・自衛隊)の基地が横須賀市や逗子市に多く作られ再び『軍都』となる一方、首都圏の発展に伴い三浦半島でもベッドタウン化が進み、2007年現在の人口は62万人であるが、住民の高齢化も進行している。


施設

Category:横須賀市Category:三浦市Category:逗子市等も参照のこと。

横浜・八景島シーパラダイス

京急油壺マリンパーク

米軍横須賀基地

三笠公園記念艦 三笠

金沢文庫

県立観音崎公園

防衛大学校


寺社

走水神社

春日神社

西叶神社、東叶神社

淡島神社

鎮西八郎為朝神社

第六天榊神社

久里浜天神社

海南神社

瀬戸神社

富岡八幡宮

諏訪神社

船越神社

吾妻社

三島神社

八雲神社

鹿島神社

杉山神社

など


城跡

玉縄城

住吉城

浦賀城

三崎城

衣笠城

芦名城


漁港

柴漁港

金沢漁港

長井漁港

三崎漁港

間口漁港


交通


幹線道路

国道16号

国道134号

横浜横須賀道路

三浦縦貫道路


鉄道

東日本旅客鉄道(JR東日本)

横須賀線


京浜急行電鉄

京急本線

京急久里浜線


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki