三河の国号の由来は、元来不明であるが、西尾の神官の渡辺政香;参河志:1836年(天保7)の中で「三川は参河国なり。此国、男川 豊川[4] 矢作川[5]とて、三の大川 ある故に、三川と名くと云えり」との記述がある。この記述は尾張藩士の岡田啓による三河国号起源にも引用されている[6]。
隣国との境界線は、いずれも「境川」である。(現在名も同様。)詳しくは境川 (境川水系・愛知県)及び境川 (静岡県・愛知県) を参照。
東海道名所図会より、堺川(尾三両国堺) 三遠境川。
註^ 平凡社マイペディア、愛知県埋蔵文化財センター、安城市埋蔵文化財センター
^ 石神遺跡木簡に記載あり
^ 三河国を東西に分割して、西三河、東三河と呼称したことがわかる確実な史料は、徳川実紀;嘉永2年(1849)である。「是より先三河國帰順の後は本國の國士を二隊に分。酒井忠次。石川家成二人を左右の旗頭として是に属せしめられしが。家成今度懸川を留守するにおよび。旗頭の任は甥の数正にゆずり。」
^ 江戸時代末期の天保年間には、吉田川(豊川とよがわ濁音ではない)と江戸幕府は明記しているのだが、海道記に、豐河の宿に泊りぬ。この川は流ひろく、水深くして、まことに豐かなる渡りなり。と記載されているため、宿場名(集落名)と河の呼称を混同して、豊川と引用したものと思われる。鎌倉時代当時は、律令制と同じ飽海川であったと思われる。室町?江戸末期は、吉田川。明治以降、豊川(とよがわ濁音)。
^ 矢作川の呼称は、古代から現在に至るまで、矢作川(矢矧川、やはぎには各種の字が当てられている。)で不動であり、著名な1級史料その他に多数引用されているため、間違うことはない。
^ 参河国全図;天保8年
西三河
東三河
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