三橋美智也
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記録

1983年には日本の歌手として史上初めてレコードのプレス枚数が1億枚を突破する記録を打ち立てた。これは日本の歌手では未だに破られていない(2005年現在)[1] [2]。生涯のレコード売上は1億6000万枚、18曲がミリオンセラーを記録し、代表曲の一つ『古城』の売上は300万枚に達するという。


私生活

一方私生活では一子をもうけた糟糠の妻と1966年に離婚(この事件がきっかけで紅白に落選したと言われている)、後に再婚し、三人の子宝にも恵まれるも、晩年は家庭内暴力(妻に馬乗りで殴られる…等)や財産乗っ取り(妻と娘と娘婿が共謀して、高級ゴルフ場会員権を三橋に無断で売却した…等。)に苦しみ、東京の自宅を出、大阪のマネージャー宅で暮らしていた(裁判の結果、三橋が倒れる直前に離婚が成立しており、翌年春にはこのマネージャーと再々婚の予定だったが、三橋が突然倒れ、亡くなったため再々婚は果たせなかった)。また名義貸しをしていたホテルが倒産し、数億円の負債を抱えたこともあるなど、輝かしい功績とは相反するものがあった。


晩年

糖尿病の悪化も手伝い、晩年は声の衰えを隠せず、また薬の副作用等により脱毛が酷く、それを隠すためにカツラも使っており、かつての恰幅のよさも無くなっていた。このことについて、親交が深かった立川談志は「もっと年齢相応に(キーを下げたり)しても良かったのでは」と著書に記している。

きまじめな性格でも知られ、自身のショーで歌っているときに歌詞を間違ったら「もう一度」とやり直していた(晩年はそのようなことは無くなっていたようであるが)。このような性格と私生活での心労が死期を早めたのではという声もある。

1995年10月、ゴルフの帰りに車中で意識を失い、そのまま意識が戻ることなく1996年1月8日午前11時30分、多臓器不全で大阪市阿倍野区大阪市立大学付属病院で没した。享年65。一説によると、最初から医療設備が整った大阪市立大学付属病院に運ばれていれば、死なずに助かったとも云われている。


代表曲

酒の苦さよ〜新相馬節〜 - (昭和29年1月)

あの娘(こ)が泣いてる波止場 - (昭和30年12月)作詞:高野公男、作曲:船村徹(以下「作詞」、「作曲」の順)

おんな船頭唄 - (昭和30年4月)藤間哲郎、山口俊郎

ご機嫌さんよ達者かね - (昭和30年7月)

あゝ新撰組 - (昭和30年9月)

島の舟唄 - (昭和30年11月)

船頭追分 - (昭和31年1月)

御存知赤城山 - (昭和31年3月)

リンゴ村から - (昭和31年5月)矢野亮、林伊佐緒

哀愁列車 - (昭和31年6月)横井弘、鎌多俊与

男涙の子守唄 - (昭和31年5月)高橋掬太郎、細川潤一

あゝ田原坂 - (昭和31年)

玄海船乗り - (昭和31年6月)

泪と侍 - (昭和31年8月)

縁があったらまた逢おう - (昭和31年9月)

お花ちゃん - (昭和31年10月)共唱:斉藤京子

手まり数え唄 - (昭和31年11月)

みれん峠 - (昭和31年11月)

木曽恋がらす - (昭和31年11月)

君は海鳥渡り鳥 - (昭和31年12月)矢野亮、真木陽

母恋吹雪 - (昭和31年12月)

江差恋しや - (昭和31年12月)

俺ら炭鉱夫 - (昭和32年1月)

東京見物 - (昭和32年3月)

一本刀土俵入り - (昭和32年4月)高橋掬太郎、細川潤一

淡海くずし - (昭和32年5月)

リンゴ花咲く故郷へ - (昭和32年7月)

おさげと花と地蔵さんと - (昭和32年9月)東條寿三郎、細川潤一

三味線渡り鳥 - (昭和32年9月)

僕は郵便屋さん - (昭和32年10月)

おさらば東京 - (昭和32年11月)横井弘、中野忠晴

ラジオ東京(現:TBS)の「人気東京六つの歌」で50週(約1年)連続で1位を記録した[3]


夕焼けとんび - (昭和33年3月)矢野亮、吉田矢健治

草笛の丘 - (昭和33年2月)

赤い夕陽の故郷 - (昭和33年11月)横井弘、中野忠晴

ギター鴎 - (昭和33年1月)矢野亮、吉田矢健治

民謡酒場 - (昭和34年1月)

センチメンタルトーキョー - (昭和33年8月)

幸福さん - (昭和33年8月)

月の峠路 - (昭和33年9月)

おしどり新打 - (昭和33年9月)

帰る日が楽しみさ- (昭和33年10月)

岩手の和尚さん - (昭和33年11月)

浪人小唄 - (昭和34年1月)

笛吹峠 - (昭和34年2月)

夢で逢えるさ - (昭和34年4月)

夜風に聞いたよ - (昭和34年4月)

かすりの女と背広の男 - (昭和34年5月)

やくざ三味線 - (昭和34年5月)

古城 - (昭和34年7月)高橋掬太郎、細川潤一

たった一人の人でした - (昭和34年9月)

俺達は狙われている - (昭和34年9月)

麦ふみ坊主 - (昭和34年12月)

誰も知らない赤い花 - (昭和34年12月)

北海の終列車 - (昭和34年12月)

東京が泣いている - (昭和35年1月)

あゝ故郷 - (昭和35年5月)

夜のマネキン人形 - (昭和35年5月)

海峡 - (昭和35年6月)

白菊の唄 - (昭和35年9月)

快傑ハリマオの歌 - (昭和35年)加藤省吾、小川寛興連続テレビ映画「快傑ハリマオ」主題歌

達者でナ - (昭和35年10月)横井弘、中野忠晴

また来るぜ東京 - (昭和35年12月)

石狩川悲歌 - (昭和36年1月)高橋掬太郎、江口浩司

さすらい流し - (昭和36年2月)

武田節 - (昭和36年5月)

星屑の町 - (昭和37年5月)東條寿三郎、安部芳明 全国歌謡ベストテンで連続1位に、日本レコード大賞歌唱賞を受賞

津軽の三男坊 - 1962年(昭和37年)

新撰組の唄 - 1962年(昭和37年)

流れ星だよ - 1962年(昭和37年)

東京五輪音頭 - 1963年(昭和38年6月)宮田隆、古賀政男作曲者の古賀政男は、元々三橋美智也を想定して作曲したといわれる。

東村山音頭 - 1964年(昭和39年)土屋忠司、細川潤一東村山市農協の依頼により制作。後に志村けんのカヴァーにより有名になる。

男の舞扇 - 1964年(昭和39年)

東京の鳩 - 1967年(昭和42年)

浜木綿の花咲けば - 1967年(昭和42年)

京都が泣いている - 1970年(昭和45年)

いいもんだな故郷は - 1974年(昭和49年)明治製菓カールCMソング

さすらい船 - 1978年(昭和53年)

父子星 - 1980年(昭和55年)

長南音頭 - 1980年(昭和55年3月)

I'm A 北海道 Man - 1984年(昭和59年)荒木とよひさ、かまやつひろし没後発泡酒のCMに使用され話題を集める

ゴエモン音頭 - 1991年(平成3年)コナミ矩形波倶楽部、コナミ矩形波倶楽部SFCソフト「がんばれゴエモン〜ゆき姫救出絵巻〜」テーマ曲


東京が泣いている

堀のある町

鳴門海峡


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki