三権分立
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権力分立前史

古くから、日本を含めた中国とその周辺諸国では、すべての権力を君主あるいはその時々の政権に集中させていた。このため、明治以前の日本では、立法権と行政権、司法権はほぼ同じ機関が担った。江戸幕府の役職である町奉行(江戸町奉行)が、江戸市中に施かれる法を定立し、行政活動を行い、民事・刑事の裁判も行っていたことは、その典型である。

1868年明治元年)、明治時代に入り、五箇条の御誓文を実行するために出された政体書には「天下の権力、総てこれを太政官に帰す、則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて立法、行法、司法の三権とす、則偏重の患無らしむるなり。」として、三権分立主義を採ることが明記された。

しかし当時は、裁判こそが行政の最大の役割であると考えられており、1872年(明治5年)に司法卿・江藤新平が欧米に倣って、行政権と司法権を分離させる制度の構築を図ったところ、特に地方行政の担い手である地方官から猛反発が起きた。例えば、京都府からは「仰地方の官として人民の訴を聴くこと能はず、人民の獄を断ずるを能はず、何を以て人民を教育し、治方を施し可申哉」(地方官が民事訴訟をしてはいけない、刑事裁判をやってはいけないと言うが、ではどうやって人々を教育して地方を治めろというのか)と抗議が行われ、諸府県からも同様の抗議が殺到したという。

また、1875年(明治8年)に終審裁判所である大審院が設置された後も、大審院の判決に司法卿が異議申し立てをする権利を保留する(江藤は既に佐賀の乱で処刑されている)など問題が多く、後の自由民権運動でも国会開設問題(立法権の政府からの分離要求)と並んで政府批判の材料とされた。


大日本帝国憲法下の権力分立

こういった紆余曲折を経て、1890年(明治23年)、大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の成立と裁判所構成法の制定により、日本にも一応権力分立の体制が整う。しかし、すべての権力(統治権)は天皇が総攬し、立法権は帝国議会の協賛を以て天皇が行使し、司法権は天皇の名に於て裁判所が行使し、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が行使する、不完全な権力分立制だった。

立法権は、帝国議会の協賛を経ずとも、緊急勅令と独立命令によっても行使された。また、司法権は独立していたものの、裁判所の人事や規則を扱う司法行政権は、行政官庁である司法省が管轄していた。このため、裁判官の人事権を用いて、司法省が裁判所を事実上指揮する事も可能であり、司法権の独立は形骸化されてしまうような事態も生じえた。さらに、後年には陸海軍(軍部)が、天皇の統帥権軍部大臣現役武官制をてこに、他の三権から遊離して増長し、暴走する事態ともなった。

なお、大日本帝国憲法においては、行政庁の処分の違法性を争う裁判行政裁判)の管轄は、司法裁判所にはなく、行政庁の系列にある行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、「行政権もまた司法権からの独立を要する」ことに基づくとされている。これに対して、江藤新平は明治初頭に「司法権もまた行政権からの独立を要する」もので、行政裁判といえども行政が裁判に関るのは司法権の独立に対する侵害であるという論理を主張している。


日本国憲法下の権力分立日本国憲法下の権力分立

1947年昭和22年)に施行された日本国憲法は、アメリカに倣った厳格な三権分立と、イギリスや大正デモクラシー期の議院内閣制を折衷した三権分立制を採っている。


権力分立の態様

まず、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(1条)とされ、「国政に関する権能を有しない」(4条1項)ものとされた。天皇の「国事」に関するすべての行為(国事行為)には、内閣の「助言と承認」を必要とし、内閣がその責任を負うこととされた(3条)。

立法権を行使する国会は、衆議院と参議院からなり、「全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(43条1項)ものとされた。国会は、「国権の最高機関」であって、「唯一の立法機関」とされている(41条)。「最高機関」の意味するところは、統治権を総攬するかつての天皇のような機関という意味ではない。

また、「唯一の立法機関」と定められたことから、国会中心立法の原則と国会単独立法の原則が導かれる。国会中心立法の原則とは、国会による立法以外の実質的意味の立法は、憲法に特別の定めがある場合を除き許されないという原則である。その例外には、議院規則最高裁判所規則などがある。内閣が定める政令は、個別具体的な委任による立法のみが許される。

国会単独立法の原則とは、国会による立法は、国会以外の機関の参与を必要とせずに成立する原則をいう。その例外としては、95条の地方自治特別法がある。天皇による「公布」は(7条1号)は、大日本帝国憲法における天皇の「裁可」のような機能を持たない。内閣の法案提出権は、国会の審議採決を妨げず、また、72条に議案提出権が定められているため、許されると解される。

全て司法権は、最高裁判所下級裁判所からなる裁判所に属することとされ、最高裁判所は終審裁判所とされる(76条1項)。特別裁判所の設置は禁止され、行政機関が終審として裁判を行うことはできない(同条2項)。司法権の行政権からの独立を確立するため、司法行政権は司法権の一部として裁判所に帰属することになった。また、行政裁判所は廃止され、通常の裁判所が行政事件を管轄する。さらに、最高裁判所は「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所」とされた(81条)。これは、最高裁判所および下級裁判所が、違憲立法審査権を有することを意味すると解されている。

「行政権は、内閣に属する」(65条)。他の二権が、「唯一の」(41条)あるいは「すべて」(65条)とされているのに対し、単に「属する」と定められたことは、三権分立が行政権にとっては抑制原理(他の二権にとっては防衛原理)とされていることを意味すると解される。内閣は、「首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣」で組織される(66条1項)。内閣総理大臣は、「国会議員の中から国会の議決で、これを指名」(67条1項)され、天皇に任命される。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から任命される。このように、内閣総理大臣を国会議員の中から国会が指名し、内閣が行政権行使について「国会に対し連帯して責任」を負う(66条3項)ことから、議院内閣制が採られているものと解される。


三権相互の関係

まず、国会と内閣の関係は、議院内閣制の下、国会による内閣総理大臣指名権が要点となる。また、衆議院は内閣不信任決議を行うことができ、可決されると内閣は総辞職か衆議院の解散・総選挙を選ばなければならない(69条)。さらに、内閣は衆議院を解散する権限を有していると解されている(7条3号)。これにより、国会と内閣は均衡し、内閣と国会における与党が一致して国政を運営している。なお、議院には国政調査権が付与され(62条)、この権限を適切に行使することにより、国会には内閣の行動を監視監督する機能も期待されている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki