大統領制と議院内閣制は、行政権の担い手により分けられる。
大統領制の国では、国民が直接選出した大統領が行政権を担い、大統領は国民に対して直接政治責任を負う。大統領制を採る国としては、アメリカ・フランス・ドイツ・韓国などがある。アメリカの大統領選挙は、名目上間接選挙とされているが、実質的には直接選挙となっている。大統領制を採る国の中でも、大統領が名目上の国家元首として大きな政治権力を持たない国と、大統領が国家元首として大きな権力を持つ国とに分けられる。ドイツは前者、アメリカやフランス・韓国は後者にあたる。
議院内閣制の国では、議会が選出した首相が組閣して、内閣が行政権を担い、内閣は議会に対して政治責任を負い、間接的に国民に対しても政治責任を負う。議院内閣制を採る国としては、イギリス・ドイツ・スペイン・日本などがある。多くの議院内閣制の国は立憲君主制を採るが、ドイツは大統領制を採った上で議院内閣制を採っている。
大陸法系と英米法系は、行政権に対する司法権の関わり方に大きな違いがある。
大陸法系の諸国では、行政権の司法権からの独立が強調され、行政裁判所制度を持つ。行政裁判所は、行政事件を専門に審理する行政部内の特別裁判所で、通常の裁判所の系統から独立した機関である。大陸法系の国であるフランスやドイツで採用されている。大日本帝国憲法の下では、日本でも行政裁判所が置かれた。
英米法系の諸国では、行政裁判所制度を採らず、行政事件も通常の裁判所が審理する。イギリス・アメリカのほか、アメリカ法の影響を強く受けた日本国憲法下の日本も、行政裁判所の設置を認めない。
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古くから、日本を含めた中国とその周辺諸国では、すべての権力を君主あるいはその時々の政権に集中させていた。このため、明治以前の日本では、立法権と行政権、司法権はほぼ同じ機関が担った。江戸幕府の役職である町奉行(江戸町奉行)が、江戸市中に施かれる法を定立し、行政活動を行い、民事・刑事の裁判も行っていたことは、その典型である。
1868年(明治元年)、明治時代に入り、五箇条の御誓文を実行するために出された政体書には「天下の権力、総てこれを太政官に帰す、則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて立法、行法、司法の三権とす、則偏重の患無らしむるなり。」として、三権分立主義を採ることが明記された。
しかし当時は、裁判こそが行政の最大の役割であると考えられており、1872年(明治5年)に司法卿・江藤新平が欧米に倣って、行政権と司法権を分離させる制度の構築を図ったところ、特に地方行政の担い手である地方官から猛反発が起きた。例えば、京都府からは「仰地方の官として人民の訴を聴くこと能はず、人民の獄を断ずるを能はず、何を以て人民を教育し、治方を施し可申哉」(地方官が民事訴訟をしてはいけない、刑事裁判をやってはいけないと言うが、ではどうやって人々を教育して地方を治めろというのか)と抗議が行われ、諸府県からも同様の抗議が殺到したという。
また、1875年(明治8年)に終審裁判所である大審院が設置された後も、大審院の判決に司法卿が異議申し立てをする権利を保留する(江藤は既に佐賀の乱で処刑されている)など問題が多く、後の自由民権運動でも国会開設問題(立法権の政府からの分離要求)と並んで政府批判の材料とされた。
こういった紆余曲折を経て、1890年(明治23年)、大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の成立と裁判所構成法の制定により、日本にも一応権力分立の体制が整う。しかし、すべての権力(統治権)は天皇が総攬し、立法権は帝国議会の協賛を以て天皇が行使し、司法権は天皇の名に於て裁判所が行使し、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が行使する、不完全な権力分立制だった。
立法権は、帝国議会の協賛を経ずとも、緊急勅令と独立命令によっても行使された。また、司法権は独立していたものの、裁判所の人事や規則を扱う司法行政権は、行政官庁である司法省が管轄していた。このため、裁判官の人事権を用いて、司法省が裁判所を事実上指揮する事も可能であり、司法権の独立は形骸化されてしまうような事態も生じえた。さらに、後年には陸海軍(軍部)が、天皇の統帥権と軍部大臣現役武官制をてこに、他の三権から遊離して増長し、暴走する事態ともなった。
なお、大日本帝国憲法においては、行政庁の処分の違法性を争う裁判(行政裁判)の管轄は、司法裁判所にはなく、行政庁の系列にある行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、「行政権もまた司法権からの独立を要する」ことに基づくとされている。