三権分立
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三権対等とされるアメリカでは、イギリス議会への抵抗から独立に至った歴史を持ち、また、建国当初の指導者達の中に民衆への不信があったことから、立法権を担う議会への不信があり、対等な三権が牽制し合う体制を形成したとされる。日本の学界ではアメリカの三権は極めて厳格に分立されているということが通説だが実際権力の分立は厳格ではなく、各機関が隷属的に三権を所有している状態である。日本も三権は対等とされるため、三権対等型に分類することができる。


大統領制と議院内閣制

大統領制と議院内閣制は、行政権の担い手により分けられる。

大統領制の国では、国民が直接選出した大統領が行政権を担い、大統領は国民に対して直接政治責任を負う。大統領制を採る国としては、アメリカ・フランス・ドイツ韓国などがある。アメリカの大統領選挙は、名目上間接選挙とされているが、実質的には直接選挙となっている。大統領制を採る国の中でも、大統領が名目上の国家元首として大きな政治権力を持たない国と、大統領が国家元首として大きな権力を持つ国とに分けられる。ドイツは前者、アメリカやフランス・韓国は後者にあたる。

議院内閣制の国では、議会が選出した首相が組閣して、内閣が行政権を担い、内閣は議会に対して政治責任を負い、間接的に国民に対しても政治責任を負う。議院内閣制を採る国としては、イギリス・ドイツ・スペイン日本などがある。多くの議院内閣制の国は立憲君主制を採るが、ドイツは大統領制を採った上で議院内閣制を採っている。


大陸法系と英米法系

大陸法系と英米法系は、行政権に対する司法権の関わり方に大きな違いがある。

大陸法系の諸国では、行政権の司法権からの独立が強調され、行政裁判所制度を持つ。行政裁判所は、行政事件を専門に審理する行政部内の特別裁判所で、通常の裁判所の系統から独立した機関である。大陸法系の国であるフランスやドイツで採用されている。大日本帝国憲法の下では、日本でも行政裁判所が置かれた。

英米法系の諸国では、行政裁判所制度を採らず、行政事件も通常の裁判所が審理する。イギリス・アメリカのほか、アメリカ法の影響を強く受けた日本国憲法下の日本も、行政裁判所の設置を認めない。


日本における権力分立

   日本の統治機構   
日本国憲法
天皇
立法行政司法
国会
衆議院
参議院内閣
内閣総理大臣
国務大臣
 ・行政機関裁判所
最高裁判所
下級裁判所
地方自治
地方公共団体
地方議会 
首長
国民主権者
日本の選挙日本の政党


権力分立前史

古くから、日本を含めた中国とその周辺諸国では、すべての権力を君主あるいはその時々の政権に集中させていた。このため、明治以前の日本では、立法権と行政権、司法権はほぼ同じ機関が担った。江戸幕府の役職である町奉行(江戸町奉行)が、江戸市中に施かれる法を定立し、行政活動を行い、民事・刑事の裁判も行っていたことは、その典型である。

1868年明治元年)、明治時代に入り、五箇条の御誓文を実行するために出された政体書には「天下の権力、総てこれを太政官に帰す、則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて立法、行法、司法の三権とす、則偏重の患無らしむるなり。」として、三権分立主義を採ることが明記された。

しかし当時は、裁判こそが行政の最大の役割であると考えられており、1872年(明治5年)に司法卿江藤新平が欧米に倣って、行政権と司法権を分離させる制度の構築を図ったところ、特に地方行政の担い手である地方官から猛反発が起きた。例えば、京都府からは「仰地方の官として人民の訴を聴くこと能はず、人民の獄を断ずるを能はず、何を以て人民を教育し、治方を施し可申哉」(地方官が民事訴訟をしてはいけない、刑事裁判をやってはいけないと言うが、ではどうやって人々を教育して地方を治めろというのか)と抗議が行われ、諸府県からも同様の抗議が殺到したという。

また、1875年(明治8年)に終審裁判所である大審院が設置された後も、大審院の判決に司法卿が異議申し立てをする権利を保留する(江藤は既に佐賀の乱で処刑されている)など問題が多く、後の自由民権運動でも国会開設問題(立法権の政府からの分離要求)と並んで政府批判の材料とされた。


大日本帝国憲法下の権力分立

こういった紆余曲折を経て、1890年(明治23年)、大日本帝国憲法が施行され、帝国議会の成立と裁判所構成法の制定により、日本にも一応権力分立の体制が整う。しかし、すべての権力(統治権)は天皇が総攬し、立法権は帝国議会の協賛を以て天皇が行使し、司法権は天皇の名に於て裁判所が行使し、行政権は国務大臣の輔弼により天皇が行使する、不完全な権力分立制だった。

立法権は、帝国議会の協賛を経ずとも、緊急勅令と独立命令によっても行使された。また、司法権は独立していたものの、裁判所の人事や規則を扱う司法行政権は、行政官庁である司法省が管轄していた。このため、裁判官の人事権を用いて、司法省が裁判所を事実上指揮する事も可能であり、司法権の独立は形骸化されてしまうような事態も生じえた。さらに、後年には陸海軍(軍部)が、天皇の統帥権軍部大臣現役武官制をてこに、他の三権から遊離して増長し、暴走する事態ともなった。

なお、大日本帝国憲法においては、行政庁の処分の違法性を争う裁判行政裁判)の管轄は、司法裁判所にはなく、行政庁の系列にある行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については、伊藤博文著の『憲法義解』によると、「行政権もまた司法権からの独立を要する」ことに基づくとされている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki