幕末には尊攘派の公家として活動する一面、極めて公家風の雰囲気を持つ温和な人物であったらしい。明治にはその温和な性格から、政府内の対立を調停する役割も果たした。 新政府樹立と共にほとんどの公卿が閑職に追いやられた中、彼は希な経歴の持ち主であった。また、最後の太政大臣として太政官制を最後まで擁護しながらも、内閣制度の発足に伴い内大臣職を宛てがわれるとこれが三条処遇のために作られた名誉職である事を承知の上であっさりと引き受け、初代内閣総理大臣伊藤博文の門出を祝った。
七卿落ちの途中、長州藩に匿われていた折の歌碑が萩市の明神池にある。また宗像市の唐津街道赤間宿に一ヵ月間宿泊した記念に赤間には、「五卿西遷の碑」がある。
関連項目
内閣総理大臣 - 太政官制から内閣制へ移行する頃の三条をめぐる逸話など
黒田内閣
尾崎三良
官報 - 題字の揮毫者が三条である。
石津太神社 - 鳥居に掛かる扁額を書いたとされている。
幕末の人物一覧
明治の人物一覧
ウィキソースに ⇒三條實美ヲ正一位ニ叙スル勅語の原文があります。 ウィキソースに ⇒藤原實美復古ノ偉勲ヲ賞スルノ詔書の原文があります。 カテゴリ: 江戸時代の公家 | 幕末維新側人物 | 明治時代の人物 | 明治維新 | 日本の華族 | 三条家 | 山城国の人物 | 1837年生 | 1891年没
更新日時:2008年8月19日(火)22:46
取得日時:2008/08/30 14:16