三條實美
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12月22日、正四位下に昇叙し、右近衛権少将如元。


文久2年(1862年

閏8月21日、左近衛権中将に転任。

9月15日、従三位に昇叙し、左近衛権中将如元。

9月28日、権中納言に転任。

12月27日、朝廷内に国事御用掛を設置するに伴い兼帯。


文久3年(1863年)8月24日、国事御用掛を含めて解官。

慶応3年(1867年

12月8日、従三位に復位。

12月27日、明治政府の議定に就任。


慶応4年(1868年

1月9日、明治政府(この年のみ、以下政府と付す)副総裁を兼帯。

1月17日、政府外国事務総督を兼帯。

1月20日、政府外国事務総督を辞す。

2月2日、権大納言に転任。

4月22日、左近衛大将を兼任。

閏4月21日、政府の制度改正により副総裁から輔相に異動。議定は、議政官たる上局議定となる。

閏4月22日、従一位に昇叙し、権大納言左近衛大将輔相議定如元。

5月24日、右大臣に転任。左近衛大将輔相議定如元。


明治2年(1869年

5月13日、議定を辞す。

7月8日、制度改正により右大臣に。


明治4年(1871年

6月27日、神祇伯を兼帯。

7月29日、制度改正により太政大臣に。

8月10日、神祇伯を辞す。


明治9年(1876年)12月29日、勲一等旭日大綬章を受章。

明治15年(1882年)4月11日、大勲位菊花大綬章を受章。

明治17年(1884年)7月7日、公爵授爵。

明治18年(1885年)12月22日、太政官制廃止と内閣制度発足をうけ、内大臣に。

明治22年(1889年

10月25日、内閣総理大臣黒田清隆の辞任に伴い、内閣総理大臣を兼任。

12月24日、山県有朋内閣発足により内閣総理大臣兼任を解く。


明治23年(1890年)2月、帝国議会発足により貴族院公爵議員に。

明治24年(1891年

2月18日、叙正一位。同日、薨去。

2月25日、国葬。

護国寺(東京都文京区)内 三条実美墓


人物

幕末には尊攘派の公家として活動する一面、極めて公家風の雰囲気を持つ温和な人物であったらしい。明治にはその温和な性格から、政府内の対立を調停する役割も果たした。 新政府樹立と共にほとんどの公卿が閑職に追いやられた中、彼は希な経歴の持ち主であった。また、最後の太政大臣として太政官制を最後まで擁護しながらも、内閣制度の発足に伴い内大臣職を宛てがわれるとこれが三条処遇のために作られた名誉職である事を承知の上であっさりと引き受け、初代内閣総理大臣伊藤博文の門出を祝った。

七卿落ちの途中、長州藩に匿われていた折の歌碑が萩市の明神池にある。また宗像市の唐津街道赤間宿に一ヵ月間宿泊した記念に赤間には、「五卿西遷の碑」がある。


関連項目

内閣総理大臣 - 太政官制から内閣制へ移行する頃の三条をめぐる逸話など

黒田内閣

尾崎三良

官報 - 題字の揮毫者が三条である。

石津太神社 - 鳥居に掛かる扁額を書いたとされている。

幕末の人物一覧

明治の人物一覧


ウィキソースに ⇒三條實美ヲ正一位ニ叙スル勅語の原文があります。 ウィキソースに ⇒藤原實美復古ノ偉勲ヲ賞スルノ詔書の原文があります。 カテゴリ: 江戸時代の公家 | 幕末維新側人物 | 明治時代の人物 | 明治維新 | 日本の華族 | 三条家 | 山城国の人物 | 1837年生 | 1891年没

更新日時:2008年8月19日(火)22:46
取得日時:2008/08/20 08:53


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki