三木武夫
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家族など

妻・睦子の父は森財閥総帥の森矗昶。睦子はこの父を始め、兄の森曉、弟の森清森美秀、甥の森英介はいずれも衆議院議員という政治家一族の出身である。

2004年まで参議院議員であった高橋紀世子は三木の長女にあたる。同志の政治家に自身の内閣で官房長官を務めた井出一太郎、子飼いの政治家に河本敏夫の他に海部俊樹鯨岡兵輔坂本三十次近藤鉄雄志賀節らがいる。

なお、三木派はその後河本敏夫に引き継がれ、現在では高村正彦が率いる番町政策研究所となっているが、安全保障において積極的な高村に象徴されるように、派としてのリベラル色は薄れており、左派的な思想の持ち主である三木睦子は現在の同派とは一定の距離を画している。


1948年の幻の三木武夫内閣

後に出版された三木睦子夫人の回顧録によると、1948年10月に芦田内閣が崩壊した際にGHQ側から首相就任の打診があったが、三木は「憲政の常道」を理由にこれを断ったといい、かわって元首相の吉田茂が就任している。仮に三木がこれを受諾していれば、歴代最年少・41歳の総理大臣が誕生していた(歴代最年少首相は伊藤博文の44歳3ヵ月、日本国憲法下では安倍晋三の52歳)。


年表明治大学雄弁部で活躍(1935年頃)1937年、弱冠30歳で衆議院議員初当選。投票の一週間前に被選挙権を得る際どさであった。銅像(徳島県阿波市)。海部俊樹揮毫

明治大学専門部商科卒業後、アメリカ合衆国南カリフォルニア大学に留学。

1937年  明治大学法学部卒、衆議院議員総選挙で初当選(30歳)。

1942年 翼賛選挙に非推薦で当選。

1947年 6月 逓信大臣 就任

1955年 3月 運輸大臣 就任

1956年 12月 自由民主党幹事長 就任

1957年 7月 自由民主党政務調査会長 就任

1958年 6月 科学技術庁長官 兼 経済企画庁長官 就任

1961年 7月 科学技術庁長官 就任

1963年 7月 自由民主党政務調査会長 就任

1964年 7月 自由民主党幹事長 就任

1965年 6月 通商産業大臣 就任

1966年 8月 通商産業大臣 再任

1966年 12月 外務大臣 就任

1967年 2月 外務大臣 再任

1967年 11月 外務大臣 再任

1972年 8月 国務大臣副総理) 就任

1972年 12月 環境庁長官 就任

1973年 11月 環境庁長官 再任

1974年 12月 椎名裁定により、自由民主党総裁

1974年 12月 内閣総理大臣 就任

1976年 9月 自由民主党総裁 再任

1976年 12月 総選挙自民党大敗、内閣総辞職

1988年 11月14日 心不全のため死去。81歳。告別式の際は国会議事堂へ別離の挨拶に訪れた霊柩車を、全衛視が堵列し敬礼で見送った。


栄典

1988年11月14日:大勲位菊花大綬章



参考文献

佐藤朝泰 『閨閥』 立風書房 1981年

三木睦子 『信なくば立たず 夫・三木武夫との50年』 講談社、1989年7月。

三木睦子 『三木と歩いた半世紀』 東京新聞出版局、1993年3月。

戸川猪佐武 『小説吉田学校 第4部』 学陽書房、2000年12月。ISBN 4313751246

國弘正雄 『操守ある保守政治家 三木武夫』 たちばな出版、2005年11月。ISBN 4813319149


関連項目

三木内閣三木内閣改造内閣

四十日抗争

国民協同党

政策懇談会

中道新党構想

松村謙三

河本敏夫

椎名悦三郎

椎名裁定

國弘正雄

中村慶一郎 - 三木の内閣総理大臣秘書官を務めた。


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担当:Mamenoki