三位一体
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教義

父なる神」と「ロゴス (λ?γο?) である子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の3つが、皆尊さが等しく、神は固有の三つの位格(自立存在: 希 υπ?στασι? (hypostasis), 羅 persona)でありながら、実体(希 ουσ?α (ousia), 羅 substantia)は同一であるという意味。なお聖霊について、正教会に属する日本ハリストス正教会では「聖霊」ではなく、「聖神(せいしん)」を訳語として採用している。[1]

これら3つの位格はしばしば簡潔に父と子と聖霊(聖神)と言い表される。

正教会では神における三つの自立存在 (υπ?στασι?) を強調するため、一の語を用いず、「聖三者(せいさんしゃ)」「至聖三者(しせいさんしゃ)」(いずれも日本ハリストス正教会の訳語。ギリシャ語: ?γ?α? Τρι??: hagias trias. )・という。「父と子と聖神、一体の聖三者をおがみて」(主日前晩祷早課)など、祝文(祈祷文)の随所に織り込められている。

三位一体が理論として成立する、つまり「三位一体」という術語が成立するのは4世紀であるが、その萌芽は新約聖書文献のなかにすでに見出されるという見解がある。父と子と聖霊の関係を提示しているとする材料に挙げられるのは1世紀末頃に成立する『ヨハネによる福音書』であり、そこには、神である父が神であることば=子を遣わし、見えざる父を子が顕わし、子は天の父のもとへ帰るが、父のもとから子の名によって「助け主」なる聖霊を遣わす(ヨハ1:1, 14, 14:12, 16-17、26)という構図である。

アウグスティヌスは三位格の関係を「言葉を出すもの」父、「言葉」子、「言葉によって伝えられる愛」聖霊という類比によって捉えた(『三位一体論』)。三者はそれぞれ独立の相をなしつつ、一体として働き、本質において同一である。これは西方神学における三位一体理解の基礎となる。また西方では「力」である父、「愛」である子、「善」である聖霊という理解も見られる。

対して正教会では、ニュッサのグレゴリオスなど、三位格の独立性・自立性を主張する論が多くみられる。三位はそれぞれ自立しながら、その完全性ゆえに互いに優劣差別をもたない。ゆえに他を排することなく、その愛の交わりは完全であるとする。抽象的な一致への想念を巡らす以上に上記の如く、永く伝えられてきた祝文(祈祷文)の随所で歌われ讃められ、愛を知る便りとなる。


正統と異端

上記のように現キリスト教の主流派は三位一体を教義としている。しかしこの教義はキリスト教の教義が確立するなかで取り入れられ形成されたものであり、最初期(いわゆる原始キリスト教の時代)から明確に教義として保持されていたものではない。

このことが問題化するのは、4世紀になってからである。はじめに父と子の関係をめぐり教義論争が起こった。さらに聖霊の位置付けが問題となった。この論争の帰結がニカイア・コンスタンティノポリス信条であり、三位一体論が教会の教義として採択された。三位一体派は、自らを正統教会とみなし、この信条の採択を正統教義の勝利とする。

論争で敗北した非三位一体諸派は、異端として教会を破門された。皇帝および一部地域には後者を支持するものもあり、三位一体派をしのぐ勢いがあったときもある。とくにアリウス派はゲルマニアなどに布教したが、内部分裂もあり、また三位一体教義を信奉する教会が勢力を伸ばし、衰退したため、集団としてはキリスト教の歴史から姿を消した。なお近現代に起こったキリスト教系新興宗教の諸派には三位一体を否定するものがある。


歴史


第1回ニケーア公会議(ニケア公会議)

キリスト教が広がる過程で、教理解釈のさまざまな異論が生まれていった。4世紀初め頃、アレイオスによって説かれた「御子は御父と同一の実体ではなく (?τεροο?σιο?) 神性を持たない」と考えるアリウス派が、当時は神学において首位を担っていたアレクサンドリア学派と激しく対立した。教理の混乱に収拾がつかず社会問題にまで発展したため、ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世公会議を召集、325年第1回ニケーア公会議(ニケア公会議)において、アレクサンドリア教会助祭アタナシウスらの論駁により、アリウス派側が異端として敗北した。アタナシウスはさらに書簡などの中で、聖霊が御父と同一の実体 (同本質: ?μοο?σιο?) とすることを説いた。後、彼はアレクサンドリア教会の総主教総大司教)に叙階され、三位一体の教理の創始者の第一人者となった。


ニカイア・コンスタンティノポリス信条

4世紀後半から5世紀の初め頃には「聖霊は神性を持たない (Pneumatomachi)」とする考えが、ヘレスポントスに隣接している国々のマケドニア人の間で普及した。そして、御父と御子と聖霊の実体は同本質ではなく類似 (?μοιο?σιο?) とする類似派、「御父と御子と聖霊は、一つの神の性質に過ぎず、御父みずから受肉(籍身)しキリストとなった」と考えるサベリウス派などが現れた。これらは、381年の第1回コンスタンティノポリス公会議で異端として排斥された。そしてこの公会議の際、ニカイア信条は拡張されニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択され、三位一体の教理はほぼ完成に達した。このときも、アレクサンドリア学派の教父ら(特にカッパドキアの三教父が知られている)が活躍したとされる。

詳細はニカイア・コンスタンティノポリス信条を参照


フィリオクェ問題

しかしながら、ラテン系の西方教会において、ニカイア・コンスタンティノポリス信条がラテン語に翻訳される際、ギリシャ語本文の聖霊に関する箇所において、「父から発出する」を意味する “?κ το? Πατρ?? ?κπορευ?μενον” を「父と子から発出する」の “ex Patre Filioque” と訳し、「子とともに」の Filioqueを付加した。Filioqueとは、「子」を意味する名詞filiusに「ともに」を意味する接尾辞的接続詞queが附加されたものである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki