ヴァインズ
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ザ・ヴァインズ
ボーカルのクレイグ・ニコルズ
基本情報
出身地 オーストラリア ニューサウスウェールズ州 シドニー
ジャンルオルタナティヴ・ロック
ガレージロック・リバイバル
ポスト・グランジ
インディー・ロック
ネオ・サイケデリア
活動期間1994年 -
レーベル

Ivy League
BMG
Heavenly
キャピトルWicked Nature Music

メンバークレイグ・ニコルズギターボーカル
ラクラン・ウェスト(ドラム
ティム・ジョン(ベース

旧メンバーパトリック・マシューズ(ベース)
デヴィッド・オリフ(ドラム)
ヘイミッシュ・ロッサー(ドラム
ライアン・グリフィス(ギター
ブラッド・ヒールド(ベース

ザ・ヴァインズ (The Vines) は、オーストラリアシドニー出身のロックバンド
概要

荒々しいギター・サウンドにボーカルが絶叫する曲もあれば、1960年代サイケデリックな雰囲気を漂わせるアコースティックな曲も兼ね備える。名前の由来はクレイグの父がフロントマンであったエルヴィスのカヴァーバンド「The Vynes」から。

2002年10月、オーストラリア出身のバンドとして20年ぶりにローリング・ストーン誌の表紙を飾った[1]ザ・ストロークスザ・ハイヴスザ・ホワイト・ストライプスなど「THE(ザ)」を冠したバンドと共に、しばしば「ロックの救世主」と評される[2]
メンバー
現メンバー

クレイグ・ニコルズ (Craig Nicholls) ボーカルギター。フロントマン兼ソングライター

ティム・ジョン (Tim John) ベース 

ラクラン・ウェスト (Lachlan West) ドラムス 

元メンバー

パトリック・マシューズ (Patrick Matthews) ベース 結成時メンバー 2ndアルバム発表後脱退

デヴィッド・オリフ (David Oliffe) ドラムス 結成時メンバー 2001年脱退

ライアン・グリフィス (Ryan Griffiths) ギター 2011年終盤脱退

ヘイミッシュ・ロッサー (Hamish Rosser) ドラムス 2011年終盤脱退

ブラッド・ヒールド (Brad Heald) ベース 2012年初頭脱退

来歴
結成?初期 (1994年 - 2000年)

1994年、シドニーでクレイグ・ニコルズパトリック・マシューズがアルバイト先のマクドナルドで出会う。ニコルズがギター、ボーカル、マシューズがベースを担当し一緒に演奏するようになる。マシューズの学校の友人のデヴィッド・オリフがドラマーとして加入する[3]。ニコルズはバンド名を、自分が好きなビートルズが訪れたインドの地から「リシュケシュ (Rishikesh)」としたが、地元紙にいつも「Rishi Chasms」とミスプリントされたため「ザ・ヴァインズ」と変更する[4]

その後数年間、バンドはめったにギグを行わず、地元でも完全に無名の存在であった。しかし、XLレコーディングスの関係者へデモテープが届けられたことから事態は急展開し、限定7インチEP「ファクトリー」をリリースすることになる。2001年11月、NMEシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれる[5]
『ハイリー・イヴォルヴド』名声と喝采 (2001年 - 2003年)

2001年7月、バンドはデビューアルバム『ハイリー・イヴォルヴド』をレコーディングするために、ロサンゼルスへ向かう。フー・ファイターズベックエリオット・スミスなどの作品を手掛けたことのあるロブ・シュナフをプロデューサーに迎える。デヴィッド・オリフが脱退、セッションドラマーとしてジョーイ・ワロンカーが加入。2001年の終わりに、バンドは一旦オーストラリアへ戻りドラマーを公募する。ヘイミッシュ・ロッサーがドラムスとして加入、ニコルズの親友であるライアン・グリフィスがアコースティック・ギターとして加入した。

1stシングル「ファクトリー」を2001年11月にリリース。オーストラリアでの関心は低かったが、イギリスで絶賛を受ける。レコード会社は次のEPをリリースしようと考えたが、ニコルズはアルバムを出す意志を譲らず、海外のレコード会社を探し始める。イギリスの Heavenly Records と2001年12月に、オーストラリアではEMIと2002年4月に契約を交わす。シングル「ハイリー・イヴォルヴド」をリリースし全英32位を記録、オーストラリアでもTOP100に入る。

デビューアルバム『ハイリー・イヴォルヴド』は絶賛を受け、バンドはローリング・ストーンNMEの表紙を飾った。アルバムは全英5位、全豪3位、全米11位をマークし、世界中で200万枚に近い売り上げを記録した[6]

2003年5月、再びロブ・シュナフをプロデューサーに迎えてスタジオ入りする。
『ウィニング・デイズ』 (2004年 - 2005年)

セカンドアルバム『ウィニング・デイズ』を2004年3月29日にリリースし、全豪7位、全英29位、全米23位を記録した。5月11日に始めたジェットリヴィング・エンドとの「オーストラリアン・インヴェイジョン」ツアーを終える。アルバムからの1stシングル「ライド」と、2ndシングル「ウィニング・デイズ」をリリース。「ライド」は日産自動車iPodのCMに起用された[7]。「ライド」のPVはミシェル・ゴンドリーが手掛けている。

2004年5月の下旬、シドニーのラジオ局のイベントに出演した際、ニコルズが観客に悪態を多くついたことから、パトリック・マシューズがステージを下り、そのままバンドを脱退してしまう[8]。また、ニコルズは演奏中にカメラマンへ暴行を働き、のちに告発される[9]。この事件ののち、バンドはツアーのキャンセルを発表。2004年11月にニコルズが発達障害の一種であるアスペルガー症候群を患っていることが判明[9]。しかしながら、次のアルバムに向けてレコーディングを行うことも発表する。
『ヴィジョン・ヴァリィ』ステージ復帰 (2006年 - 2007年)

2005年中頃、プロデューサーにウェイン・コノリーを迎えて3rdアルバムを制作していることを発表する。ユー・アム・アイのベーシストであるアンディ・ケントがサポートで加入する。

2006年3月7日、アルバムからの1stシングル「ドント・リッスン・トゥ・ザ・レディオ」をリリースする。4月、3rdアルバム『ヴィジョン・ヴァリィ』をリリースする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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