ロナルド・レーガン
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カリフォルニア州知事

レーガンの自由主義者としての顔は、カリフォルニア州知事時代に行った政策にも如実に現れている。例えば、州議会を「バイクに乗る際、ヘルメットの着用を義務付ける」という法案が通過した際、レーガンは州知事権限でこれを取り消した。その理由は「バイクに乗る者は、バイクに乗るという行為がどれだけ危険かわかって乗っているはずだ。ならば、ヘルメットの着用などということは個人に任せるべきであって、それに州政府が関与する必要はない」というものだった。また当時激戦を極めていたベトナム戦争に関して「ベトナムを焼き払って駐車場にすればいい」と発言して批判を浴びたこともある。


大統領選

レーガンは1968年に大統領選に初出馬したが、ニクソン元副大統領相手に予備選の段階で票が伸びず敗退した。1976年に再出馬、この時は現職のフォード大統領に肉薄する勢いで善戦したが、夏の全国共和党大会における代議員投票で惜敗した[3]。満を持して臨んだ続く1980年の大統領選では難なく党大統領候補指名を獲得した。

選挙活動は、民主党選出で現職の大統領でもあるジミー・カーター政権下で起きたイラン大使館人質事件への対応で特徴づけられた。海外のマスコミは、選挙後まで人質を拘束させ続けるためにレーガン陣営が秘密の取り引きを結んだと非難した。

最終的にレーガンは、1980年に行われた大統領選挙で現職のカーターを破って当選した。その後ほとんどのアナリストは、カーターのイラン大使館人質事件解決に対する無力さと優柔不断さが、カーターの敗北およびレーガンの勝利に大きな役割を果たしたと考えた。


リーガン → レーガン

「Reagan」の英語本来の発音は「リーガン」が近い。レーガン本人もハリウッド俳優時代から1980年の大統領予備選のあたりまでは「ロナルド・リーガン」と言っていた。ところが共和党から党大統領候補の指名を受けると、レーガンのルーツはアイルランド系で、アイルランド語では語頭の「Rea」を「リー」ではなく「レイ」と発音することから、これを機に以後は「ロナルド・レーガン」と名乗ることにすると発表した。選挙中にこのような発表をする大統領候補はかつてなかったため、この件は意外性をもって報道された。しかし多民族国家アメリカでは民族の伝統の継承や自己の歴史への誇りなどが尊ばれることから[4]、このレーガンの姿勢は彼に対する好感度の増加につながった。

もう一つの理由が、レーガン陣営で財政問題の顧問をしていた元メリルリンチ会長のドナルド・リーガン (Donald Regan) である。リーガンはレーガンの側近のような存在で、レーガンが当選すればリーガンが財務長官に指名されるのは確実視されていた。姓の発音が同じで、しかも名の方も頭の一文字が違うだけ[5]というこの二つの名前はいかにも紛らわしいので、アメリカの報道は渡りに船とばかりに、こぞってレーガン候補の方を「レーガン」とし、リーガン顧問以下その他大勢は従来通りの「リーガン」に据え置くことにした[6]

日本では、大統領選を経て就任式を過ぎてからしばらくしても「リーガン」と「レーガン」が混在していた。春頃になるとアメリカ大使館から日本の報道機関に対して、適切な表記への変更を要望する書簡が送付されている。外国大使館からのこうした要望は前代未聞で、この件は日本でもちょっとしたニュースになった。


第40代大統領就任式(中央はナンシー夫人)

1981年1月21日に大統領に就任したレーガンは、1984年の再選をかけた大統領選挙でも民主党候補のモンデール副大統領に空前の地滑り的大勝を果たして1989年まで在任、アイゼンハウアー(在任1953?61年)以来久々に二期8年の任期を満了した大統領となった。


暗殺未遂事件

レーガン政権の船出は暗殺未遂事件に見舞われるという衝撃的なものだった。

大統領に就任して69日後の1981年3月30日、講演先のワシントンD.C.ヒルトンホテルを裏口から退出した際に、レーガンはジョン・ヒンクリーによって狙撃される。3秒間で6発の弾丸が発射され、レーガンの脇にいた大統領報道官のジェームズ・ブレイディ、シークレットサービスのティモシー・マッカーシー、ワシントン市警警官のトーマス・デラハンティーの三人が被弾してその場に倒れた[7]暗殺未遂事件の決定的瞬間被弾して倒れる報道官とシークレットサービス、ヒンクリーを押さえ込む人垣、大統領が押し込まれた専用車の扉はまだ半開のままである。

レーガンは別のシークレットサービスのジェリー・パーによって大統領専用車に押し込まれたが、そのとき胸に痛みが走った。しかし出血が認められなかったので、車に押し込まれたときの勢いでどこか痛めたのだろうと思ったという。ところがその後パーと話をしているうちに咳き込み、泡立った鮮血を吐いた。これを見たパーは、大統領は被弾しており、しかも銃弾はに穴を開けているととっさに判断、運転手に最寄りの病院へ大至急直行するよう指示した。実際に弾丸は大統領の心臓をかすめて肺の奥深くで止まり、かなりの内出血を起していた。救急病棟に到着したころには呼吸も困難な状態で、この直後にレーガンは倒れ伏せてしまう。まさにパーの機転がなければ命に関わる重傷だった[8]

それでもレーガンの意識はしっかりしており、周囲の心配をよそに弾丸摘出の緊急手術の前には医師たちに向かって「あなた方がみな共和党員だといいんだがねえ」と軽口を叩くほどだった。執刀外科医は民主党員だったが、「大統領、今日一日われわれはみんな共和党員です」と返答してレーガンを喜ばせている。手術は全身麻酔を必要とする大掛りなものだったが[9]、レーガンは70歳の高齢者としては驚異的なスピードで回復、2〜3週間後には退院して執務に戻っている。

レーガンは入院中にも妻のナンシーに「ぼくはしゃがみ忘れたんだよ (Honey, I forgot to duck.)」と軽口をたたくなど陽気な一面を見せ続けた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki