マリーンズファンを参照
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ユニフォーム右胸 ハートフォード生命保険(オフィシャルスポンサー、2007年度)
パンツ左側 君津住宅(同上)
ヘルメット右側 クレバリーホーム
歴代本拠地
1950年?1962年 - 後楽園球場 ※1
1962年?1972年 - 東京スタジアム ※1
1973年?1977年 - 宮城球場 ※2
1978年?1991年 - 川崎球場
1992年? - 千葉マリンスタジアム
※1 1962年5月まで後楽園を使用、同年6月より東京スタジアムへ移転。※2 東京スタジアムの閉鎖に伴う暫定処置。1973年シーズンは地域保護権を東京都に置き、宮城球場と首都圏の他球団本拠地などで主催公式戦を行った。同年12月21日の実行委員会で翌1974年から暫定的に保護地域を宮城県に移転することが決まり、1974年から1977年の間は同県を保護地域とした。しかし球団事務所は従来と同じく東京都に置き、試合の開催方法も1973年とほぼ同様だった。
※太字は優勝達成監督
1950年?1952年 - 湯浅禎夫
1952年 - 別当薫(第1次)
1953年 - 若林忠志
1954年?1959年 - 別当薫(第2次) ※1
1960年 - 西本幸雄
1961年?1962年 - 宇野光雄
1963年?1965年 - 本堂保次 ※2
1966年 - 田丸仁
1967年 - 戸倉勝城
1967年?1971年 - 濃人渉 ※3
1971年?1972年 - 大沢啓二
1973年?1978年 - 金田正一(第1次) ※4
1979年?1981年 - 山内一弘
1982年?1983年 - 山本一義
1984年?1986年 - 稲尾和久
1987年?1989年 - 有藤道世
1990年?1991年 - 金田正一(第2次) ※5
1992年?1994年 - 八木沢荘六 ※6 ※7
1995年 - ボビー・バレンタイン(第1次)
1996年 - 江尻亮
1997年?1998年 - 近藤昭仁
1999年?2003年 - 山本功児
2004年? - ボビー・バレンタイン(第2次)
※1 ここから大毎オリオンズ※2 ここから東京オリオンズ※3 ここからロッテオリオンズ※4 1975年は4月22日まで指揮、5月6日から復帰※5 1990年は6月23日まで指揮、7月27日に復帰するまでは徳武定之が代行※6 ここから千葉ロッテマリーンズ※7 1994年は7月31日まで指揮、残り試合は中西太が代行
永久欠番
2008年現在永久欠番は無い。
#8 有藤道世(1987年?1991年)。元は永久欠番だが、千葉移転後、永久欠番ではなくなる。現在は今江敏晃がつけている。
#26 マリーンズ・ファン
千葉ロッテマリーンズは2005年度以降、背番号26を東北楽天ゴールデンイーグルスの10番同様にファンのための欠番(1試合に出場登録できる、すなわちベンチ入りする25人の選手に次ぐ26人目選手の意味)としている(一軍にはシーズン中は28人(うち3人―多くは登板予定のない投手―はオフになる)、日本シリーズ中は40人の登録が可能)。ちなみに最後に26を着用した選手は酒井泰志(2003年?2004年)。
試合中はダッグアウトの壁に背番号26・個人ネーム無しのユニフォームがハンガーで掛けられており、試合に勝った時にはヒーローインタビューを受けた選手がファンへの感謝を込めてそのユニフォームをファンの前に掲げる(ユニフォームはマーくんが掲げることもあり、2006年カルビープロ野球チップスカードでは、26番のユニフォームを掲げたマーくんの写真がチェックリストに使われている)。
2006年からはこれにちなみ、ファンクラブ制度を大幅にリニューアル、TEAM26と命名される。