ロッテオリオンズ
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先祖帰りのユニフォーム

「千葉ロッテマリーンズ」となった1992年にチームのイメージカラーとしてピンクが登場、球団旗・ペットマーク・ユニフォームに採用された。明るいパステル調のこのピンクは「サンライズピンク」と名付けられ、「陽気さ・親しみやすさ・楽しさを表し、未来へと広がる千葉のイメージをも表している」と説明された。またビジター用ユニフォームの地色となった水色も「カレントブルー」と名付けられ、「千葉県沖合における親潮黒潮のぶつかり合い」と定義づけられ、球団の千葉に根付いていこうとする意気込みが感じられた。

ところが1995年に監督に就任したボビー・バレンタインはピンクの「Marines」ロゴが入ったユニフォームを「戦う者の着るユニフォームではない」と批判。そのためユニフォームの変更を余儀なくされたが、その時に広岡GMの提案で出来たのが、白地に黒の縦縞で、左胸には黒に銀の縁取りが施された“M”一文字の入ったユニフォームであった(2005年に「戦」と名付けられたユニフォームに当たる)。

黒と紺の違いや“M”の書体の違いこそあったものの「縦縞」「左胸に“M”」が毎日オリオンズ時代のユニフォームと共通していたため年配のファンからは「ユニフォームが先祖帰りを果たした」、また若いファンからは「大リーグシカゴ・ホワイトソックスみたいで格好いい」と、幅広い年代層に受け入れられるユニフォームとなった。

現在、チームのカラーは「白、黒、赤」とされ、「誠」ユニフォームは白地に黒と赤の模様、ビジターユニフォームは黒字に赤ラインが入ったものである。また、赤味が強く濃い色合いのピンクが2005年より「誠」「侍」着用時に使用の帽子のつばの模様に取り入れられた。


マリーンズファン・応援スタイル

マリーンズファンを参照


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ユニフォーム右胸 ハートフォード生命保険(オフィシャルスポンサー、2007年度)

パンツ左側 君津住宅(同上)

ヘルメット右側 クレバリーホーム


歴代本拠地

1950年?1962年 - 後楽園球場 ※1

1962年?1972年 - 東京スタジアム ※1

1973年?1977年 - 宮城球場 ※2

1978年?1991年 - 川崎球場

1992年? - 千葉マリンスタジアム
※1 1962年5月まで後楽園を使用、同年6月より東京スタジアムへ移転。※2 東京スタジアムの閉鎖に伴う暫定処置。1973年シーズンは地域保護権東京都に置き、宮城球場と首都圏の他球団本拠地などで主催公式戦を行った。同年12月21日の実行委員会で翌1974年から暫定的に保護地域を宮城県に移転することが決まり、1974年から1977年の間は同県を保護地域とした。しかし球団事務所は従来と同じく東京都に置き、試合の開催方法も1973年とほぼ同様だった。


歴代監督

※太字は優勝達成監督

1950年?1952年 - 湯浅禎夫

1952年 - 別当薫(第1次)

1953年 - 若林忠志

1954年?1959年 - 別当薫(第2次) ※1

1960年 - 西本幸雄

1961年?1962年 - 宇野光雄

1963年?1965年 - 本堂保次 ※2

1966年 - 田丸仁

1967年 - 戸倉勝城

1967年?1971年 - 濃人渉 ※3

1971年?1972年 - 大沢啓二

1973年?1978年 - 金田正一(第1次) ※4

1979年?1981年 - 山内一弘

1982年?1983年 - 山本一義

1984年?1986年 - 稲尾和久

1987年?1989年 - 有藤道世

1990年?1991年 - 金田正一(第2次) ※5

1992年?1994年 - 八木沢荘六 ※6 ※7

1995年 - ボビー・バレンタイン(第1次)

1996年 - 江尻亮

1997年?1998年 - 近藤昭仁

1999年?2003年 - 山本功児

2004年? - ボビー・バレンタイン(第2次)
※1 ここから大毎オリオンズ※2 ここから東京オリオンズ※3 ここからロッテオリオンズ※4 1975年は4月22日まで指揮、5月6日から復帰※5 1990年は6月23日まで指揮、7月27日に復帰するまでは徳武定之が代行※6 ここから千葉ロッテマリーンズ※7 1994年は7月31日まで指揮、残り試合は中西太が代行


永久欠番

2008年現在永久欠番は無い。


準永久欠番

#8 有藤道世(1987年?1991年)。元は永久欠番だが、千葉移転後、永久欠番ではなくなる。現在は今江敏晃がつけている。

#26 マリーンズ・ファン

千葉ロッテマリーンズは2005年度以降、背番号26を東北楽天ゴールデンイーグルスの10番同様にファンのための欠番(1試合に出場登録できる、すなわちベンチ入りする25人の選手に次ぐ26人目選手の意味)としている(一軍にはシーズン中は28人(うち3人―多くは登板予定のない投手―はオフになる)、日本シリーズ中は40人の登録が可能)。ちなみに最後に26を着用した選手は酒井泰志(2003年?2004年)。

試合中はダッグアウトの壁に背番号26・個人ネーム無しのユニフォームがハンガーで掛けられており、試合に勝った時にはヒーローインタビューを受けた選手がファンへの感謝を込めてそのユニフォームをファンの前に掲げる(ユニフォームはマーくんが掲げることもあり、2006年カルビープロ野球チップスカードでは、26番のユニフォームを掲げたマーくんの写真がチェックリストに使われている)。

2006年からはこれにちなみ、ファンクラブ制度を大幅にリニューアル、TEAM26と命名される。


歴代の球団歌

わがオリオンズ(毎日球団の歌)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki