1970年代前半は、複雑で大作主義のプログレッシブ・ロックやハードロックに代表される、お金や高度な技術が必要なロックに支配されていた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したロック・スタイルが、1970年代に生まれたパンク・ロックだった。
ニューヨーク・ドールズやパティ・スミス、ラモーンズなどによりニューヨークで1973年ごろ誕生したという説もあるパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。ニューヨーク・パンクのスタイルは、長髪であったりアート的な側面があるなど日陰なイメージを持っていた。一方ロンドンでは髪を短くし歌詞も演奏もはるかに過激なスタイルをとったストラングラーズが1974年に登場し、続いてセックス・ピストルズも結成されロンドン・パンクが興隆、右翼に襲われることもあり、大きな社会現象となる。当時のロンドン・パンクは、ロックンロールの原点に戻った、テクニックを気にしない「衝動」と「勢い」の攻撃的な演奏、権力や体制に反抗的な態度により、不満を抱えた労働者階級の若者たちの間でイギリスでは熱狂的に支持されていった。また、短くカットした髪を逆立たせ服を破いたそのスタイルも、パンク・ファッションとして若者の間でブームとなる。しかしアメリカではブレイクしなかった。旗手であったセックス・ピストルズの解散以後、急速にパンクロック・シーンは衰退、わずか数年ほどの短期間でこのムーブメントは終わることになる。
その後イギリスではニュー・ウェイヴというジャンル/言葉が生まれ、それまで全盛を極めていた長髪のロッカーたちはオールド・ウェイヴと言われるようになる。クラフトワークのようにシンセサイザーを無機的に使用したテクノ・ポップのゲイリー・ニューマン、ヒューマン・リーグ、ニューロマンティックの元祖アダム・アンド・ジ・アンツ、バウ・ワウ・ワウ、スカ・ビートを使ったマッドネス、スペシャルズらが新しい音楽を創っていった。アメリカでは、トーキング・ヘッズ、ディーヴォらも生まれた。また、アメリカにわたったロンドン・パンクは後にノー・ウェーブやジャンクなどのより先鋭的なサウンドを生み出し、オルタナティヴ・ロックの基礎を作り上げていった。
NWOBHMとLAメタル・ムーブメント(1980年-1986年)
1969年から1976年にかけて一時代を築き上げたハード・ロックは圧倒的な人気があるだけでなくプログレッシブ・ロックと共に時代の最先端でもあった。しかし、1970年代後半のパンク・ロックやニューウェイブ・ムーブメントによりイギリスではオールドウェイヴ扱いとなり、80年代にはその長髪と共にイギリス以外の国でも時代遅れのスタイルとみられるようになった。1980年のアイアン・メイデン、デフ・レパードのメジャーデビュー、かつてとは規模が違うがシーンはやや勢いを取り戻す。『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられた。このムーブメントはイギリス全土に広がり、マニアの心をつかんでいく。
イギリスに続いてアメリカにおいても、1980年代に入り、ハードロックシーンは低迷期を迎える。 そのような中、モトリー・クルーやラットの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタルと呼ばれるジャンルが誕生、ドッケン、W.A.S.P.、ナイト・レンジャーなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たす。そして、ボン・ジョヴィの大ヒットにより、MTVがHM/HRを大々的にバックアップ、ヘヴィメタルの産業化が進んでいくこととなる。ただしLAメタルというジャンル名は日本にしか存在せず、米英ではそのルックスからhair metalという表現が使われている。ロック史においてHM/HRの存在を大きく捉えるのも日本の特徴である。
エアロスミスのカムバックの成功、ボン・ジョヴィの3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(1986年)、新生ホワイトスネイクの『サーペンス・アルバス』(1987年)、ガンズ・アンド・ローゼズのメジャーデビューアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』(1987年)などの大ヒットにより、ヘヴィメタルは産業化の度合いを強めていき、ポイズン、シンデレラ、スキッド・ロウなどが次々とブレイク、適度なワイルドさとキャッチーさを合わせ持ったヘヴィメタルがミュージックシーンを席巻することとなる。
上記のとおり、1980年代のロックシーンを語る上でさけて通れないのがMTVである。1981年、バグルスの 「ラジオ・スターの悲劇」で放送開始した音楽専門のケーブル放送チャンネルは、ロックシーンを産業化していき、巨大な影響力をもつようになっていく。