ロシアには基本的に大陸性の気候が卓越する。すなわち気温の年較差が大きい。ケッペンの気候区分に従うと、亜寒帯(冷帯) (D) に分類される地域が大半を占める。西部は大西洋の影響を受けるものの、東に進むにしたがって大陸性気候の特徴がはっきりしてくる。東シベリアには冬にシベリア高気圧が発達し、放射冷却のために気温が下がる。北半球でもっとも寒くなり、寒極と呼ばれる。例えば-71.2度(オイミャコン)、-66.7度(ベルホヤンスク)。しかしながら夏季には最高気温が30度を超える。
典型的な植生は北極海沿岸がツンドラ、南に下るにしたがって針葉樹林のタイガ、混交林、プレーリー、ステップに移行していく。
下図はロシアを中心とした地域にケッペンの気候区分を適応したものである。以下、気候区分にしたがって特徴と地域区分を示す。
ロシアを中心とした地域をケッペンの気候区分に従って塗り分けた地図
亜寒帯
Dfa 亜寒帯湿潤気候のうち、最暖月が22度以上の地域。地図では明るい空色で描かれている。黒海とカスピ海に挟まれた狭い地域に広がる。
Dfb 亜寒帯湿潤気候のうち、最暖月が10度以上22度未満であり、月平均気温10度以上の月が4カ月以上ある地域。地図では空色(シアン)で描かれている。ポーランドやハンガリーなどの中東欧諸国と共通の気候区分でもある。首都モスクワを含み、ロシア西部からモンゴル国境西端まで広く分布する。沿海州北部やサハリン北部にも見られる。モスクワの年平均気温は5.3度、1月の平均気温は-7.5度、7月は18.4度、年平均降水量は705.3mmである。
Dfc 亜寒帯湿潤気候のうち、以下の3条件を満たす地域、すなわち最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3カ月以下、最寒月が-38度以上-3度未満。地図ではDfbの北に広がる暗緑色で描かれている。北欧諸国と共通の気候区分であり、ロシア領土に占める面積ではもっとも広い。中央シベリア高原からカムチャツカ半島にかけて一部Dfdに移行している部分以外は、全国にまたがっている。植生はタイガ中心。
Dfd 亜寒帯湿潤気候のうち、3つの条件、すなわち最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3カ月以下、最寒月が-38度未満を満たす地域。中央シベリア高原から東に延びるさらに暗い緑色で描かれている(内部にDwcの領域を含む)。
Dwb 亜寒帯冬季少雨気候のうち、最暖月が10度以上22度未満、加えて月平均気温10度以上の月が4カ月以上ある地域。地図では青紫色で描かれている。モンゴル国境から北にかけて広がる。
Dwa 亜寒帯冬季少雨気候のうち、最暖月が22度以上ある地域。地図では薄紫色で描かれている。Dwbと隣接し沿海州に向かって広がる
Dsb 高地地中海性気候のうち、最暖月が10度以上22度未満、加えて月平均気温10度以上の月が4カ月以上ある地域。地図では赤紫色で描かれている。カムチャッカ半島西岸などに見られる。
Dsd 高地地中海性気候のうち、3つの条件を満たす地域。すなわち、最暖月が10度以上22度未満、月平均気温10度以上の月が3カ月以下、最寒月が-38度未満。地図では薄赤紫色で描かれている。Dsbに隣接したごく狭い範囲に見られる。地球上でこの地点にのみ見られる気候区である。
その他の気候区
ET ツンドラ気候。地図では薄い灰色で描かれている。北極海沿岸全域に広がる。
BSk ステップ気候のうち、年平均気温が18度未満の地域。地図では黄土色で描かれている。モンゴル西端から北に伸びるたごく狭い範囲に加え、カスピ海沿岸に見られる。
BWk 砂漠気候のうち、年平均気温が18度未満の地域。地図ではサーモン色で描かれている。BSkに隣接したごくわずかな範囲に見られる。
Cfa 温暖湿潤気候。黒海沿岸の狭い地域に見られる。
詳細はロシアの歴史を参照
ロシアとウクライナ・ベラルーシの原型である中世のルーシ地域は、862年にノルマン人リューリクがノヴゴロドの公となり、その一族が東スラヴ人の居住地域に支配を広げていく過程で形成されたと年代記に記録される。当初のルーシの中心は、現在はウクライナの首都であるキエフであり、現在のロシアの中心である北東ルーシはむしろ辺境で、モスクワの街もまだ歴史には登場していなかった。支配者層を含めてスラヴ化したキエフ大公国は、9世紀に東ローマ帝国から東西教会分裂以後に正教会となる東方のキリスト教とギリシャ文化を受容し、独特の文化を育んだが、13世紀初頭にモンゴルによって征服され、キプチャク・ハン国の支配下に入った。
数多くいるルーシ諸公のひとりに過ぎなかったモスクワ公は、モンゴル支配下でルーシ諸公がハンに納める貢納を取りまとめる役を請け負うことで次第に実力をつけ、15世紀にキプチャク・ハン国の支配を実質的に脱してルーシの統一を押し進めた。モスクワ大公はイヴァン3世のときツァーリ(皇帝)の称号を名乗り、その支配領域はロシア帝国へと発展してゆく。ただし、国内の生産力は低く、西欧諸国からは異質の存在と見られていた。16世紀にイヴァン4世(雷帝)が近代化と皇帝集権化、シベリア進出などの領土拡大を進めたが、彼の死後は大貴族の抗争で国内が大混乱に陥り、ポーランドによるモスクワ占領まで起こった。