1918年2月に外務人民委員を辞任し、かわって軍事人民委員・最高軍事会議(9月以降は共和国革命軍事会議)議長に就任する。軍事的な組織と扇動に巧みで、大衆の人気も高かったといわれるトロツキーは赤軍の組織に着手し、内戦において赤軍の指揮者として反革命軍(白軍)の撃破や外国の干渉の排除に大きな功績をあげた。しかし、1922年のクロンシュタット軍港の「第三革命」を呼号する水兵たちの蜂起とそれに呼応したストライキに対する革命政権による武力弾圧や、ウクライナ地方のネストル・マフノ率いる農民アナキズム運動の圧殺を支持するなど、「トロツキーには後のスターリンと共通点を見出せる」とする指摘・批判もある。
10月革命を現実に指導したのは、トロツキーとレーニンの2巨頭だった。トロツキーは赤軍(赤衛軍)の創始者で、白軍(白衛軍)に対する内戦でこれを勝利に導いた立役者だった。
1924年のレーニンの死後、書記局長・スターリンが台頭すると、トロツキーとスターリンの対立が明確化する。スターリンは政治的に策略に長けており、党内の地位を最大限に活用し、時にはジノヴィエフやカーメネフ、時には右派のブハーリンと組み、トロツキーの地盤を次第に蚕食した。スターリンは、トロツキーの世界革命論に反対し、一国社会主義論を唱えた。党の官僚たちには魅力的な提案である。トロツキーはイデオロギー上でも党の主流派と激しく対立。「左翼反対派」、ついで「合同反対派」を組織して抵抗するが、戦争と内戦に疲弊した大衆を味方につけたスターリンの前に敗北し、1925年、トロツキーは軍のコミッサール(人民委員)の地位を解任され、閑職に追いやられた。1927年には政府・党の全役職を解任された上、1928年に中央アジアのアルマ・アタ(現在のカザフスタンのアルマトイ)へと追放された。1929年にはソビエト連邦から国外追放される。トロツキーは国外からも反スターリン、世界革命の運動を続けようとした。まず、トルコが彼に亡命を認めた。イスタンブルからも近い、マルマラ海のプリンスィズ諸島(アダラル)での生活の後、1933年にはフランスへ、1935年にはノルウェーに移った。しかし、翌1936年、ノルウェーはソ連の圧力で彼に国外退去を求めた。トロツキーはメキシコに居を定めた。この間、1938年には第四インターナショナルを結成し、コミンテルンに代わる国際社会主義運動の組織化に乗り出すが、スターリンはソ連国内で反対者の大粛清を進めており、ついには国外にいたトロツキーの身辺にもスターリンの送り込んだと思われる襲撃者が現れるようになっていた。
1940年の時点でスターリンの「暗殺リスト」には、まだ1人だけ大物が残っていた。それがトロツキーだった。これに先立つ数年間、スターリンは「古参ボルシェビキ」を大量粛清している。右派、左派、中道を問わず、自らの権力のライバルとみなした人間の多くを「見せしめ裁判」と呼ばれる公開裁判によって自らの「反革命活動」を「自供」させたうえで死刑宣告によってことごとく抹殺した。ジノヴィエフ、カーメネフ、ラデック、ブハーリン、ピャタコフ等の革命の元勲もこれに含まれる。宿敵として残ったのはトロツキーのみだった。 愛息を誘拐殺害され、身辺への危機がさらに迫ったため、自宅を要塞化して防衛した。メキシコシティのコヨアカン地区にあるレフ・トロツキー博物館に建てられたトロツキーの墓
1940年8月20日、トロツキーは秘書の恋人になりすましたラモン・メルカデルによってピッケルで後頭部を打ち抜かれ、翌日収容先の病院で死亡した。このとき、「スターリン伝」を執筆中だったという。メルカデルは現場で拘束され、メキシコで20年間服役した後、ソ連に帰って1961年にレーニン勲章を受けた。
エピソード
1920年に著作『テロリズムとコミュニズム』を刊行し、ドイツ社会民主党のカウツキーらの「ソビエトはボルシェビキによる赤色恐怖支配」という批判に対して、「革命のさなかにおいて、資本家のテロは歴史を若干遅らせるだけだが、革命派の資本家へのテロは歴史を促進する」と革命のためのテロを擁護した。この著作は、現在も旧ソ連共産党古文書館にヨシフ・スターリンの蔵書の一冊として保管されている。なお、政敵で常にトロツキーを敵視していたスターリンもこの本のテロを賛美している箇所全てに「同感!」「的確!」などと書き込みを入れている。
赤軍を率いていた際、兵士の間で「白い虫(白軍)を殺せ」という歌がはやったが、トロツキーは「赤軍の役目は、白軍兵士を殺すことではなく彼らを武装解除することであり、白軍兵士も同じ階級なのだから、彼らを組織するつもりで戦おう」と訴えて、その歌を歌うことを禁じた。
トロツキーの亡命先のメキシコで、トロツキーが身を寄せていた住居が銃撃される。住居は要塞化され、トロツキーは秘書や支援者とともに「避難訓練」を繰り返した。トロツキーの秘書は、トロツキーの性格を考えて、なぜトロツキーが避難訓練に熱心なのか訝ったが、実はトロツキーにとって愛人宅に行くための「脱出訓練」だったことを知り、秘書は避難訓練をボイコットした。
メキシコ亡命中にフリーダ・カーロと不倫をしている。
革命当初、地方を回って督戦中、乗っていた車が反対派に包囲された。銃を突き付けられ万事窮したトロツキーは即興の演説を行い、敵を説得させて味方にしてしまった。
共産主義思想
マルクス主義 ・ レーニン主義
スターリン主義 ・ トロツキー主義
毛沢東思想 ・ ユーロコミュニズム