アフリカ大陸の北部、地中海に面しており、気候は温暖。サハラの一部で、国土の大部分が砂漠。南部には山脈が走る。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。
首都のトリポリ(タラブルス)、ベンガジ、第二次世界大戦当時の激戦地として知られるトブルクが主要都市である。
リビア砂漠
地中海 - スルト湾(シドラ湾)
詳細はリビアの行政区画を参照
シャアビーヤと呼ばれる州・県レベルの自治体が34、
クフラ(南東の端)
フェッザーン(クフラの西、チャドに接する)
ムルズク(フェッザーンの西、ニジェールに接する)
東部 アジュダビーヤー(クフラの北、ダルナの南)、ダルナほか4つ
首都周辺 8つ
スルト
ジュフラ(スルトの南、フェッザーンの北)、
サウファジーン(スルトの西)
ガダミス(ガルヤーンの西、アルジェリア、チュニジアに接する)
西部 ガルヤーン、シャーティ(ガルヤーンの南)、ゼフハ(シャーティの南東)、アウバーリー(シャーティの南)ほか1つ
その下にマハッラと呼ばれる自治体が468置かれている(2006年現在)。
リビアは人民主権に基づく直接民主制を宣言し、ジャマーヒリーヤと呼ばれる独特の政体をとる国家である。成文憲法は存在せず、1977年に制定された人民主権確立宣言が、その機能を果たす。またイスラム法も、主要な法の源とされている。
1969年以来、アラブ社会主義連合による一党独裁体制であったが、同党は既に解散しており、党の権能はそのまま国家機関へと移行した。以来、政党は存在しない。ただし反政府勢力は存在し、民主主義政権確立を目指すリビア民主運動やリビア国民連盟、カッザーフィー政権打倒そのものを目的とするリビア救国国民戦線、そして過激派テロ組織イスラム殉教者運動まで、その活動目的は幅広い。反政府勢力結集の動きもロンドンを中心に見られるが、王党派(イドリス国王の弟の孫が王位継承者)からイスラム過激派、民主主義派まで思惑は様々であり、反政府勢力の影響力は限定的とみられる。
リビアは直接民主制を標榜する国で、建前上国民の代表からなる議会は存在しないが、事実上それに代わる仕組みとして全国人民会議 (General People's Congress) が置かれている。議員は内閣に相当する全国人民委員会各書記(大臣)のほか、各マハッラ、シャアビーア、学校や職場などに置かれている人民委員会などから法律で役職指定されており、1000名前後(2006年現在)。法律上、リビアに元首は存在しないが、外国大使の信任状の接受は全国人民会議書記が行う事と定められており、同書記が事務的には元首代行の役割を担っている。なお、基礎人民会議には、原則18歳以上の全成人の参加が義務づけられており、年数回の会期中は市内の商店も閉店を余儀なくされるが、実際に会議に参加するのは政権に忠実な一部国民に限られ、そこでの討議内容もあらかじめ定められ不規則発言は許されないのが実態である。 内閣に相当する全国人民委員会のメンバーは、全国人民会議において選出され、首相に相当する役職は全国人民委員会書記。
現在国家元首に関する明確な規定は存在しないが、1969年9月1日の革命以来革命指導者の称号を持つムアンマル・アル=カッザーフィーが、事実上の元首として実権を握っている。ただし、公的役職には1970年代半ばから就いていないことから全国人民会議など公の会議には出席せず、会議後、会議出席者の「要請」を受ける形で国民への「助言」として事実上の施政方針演説を行うことが多い。
なお、「革命指導者」であるカッザーフィーは、各国のマスコミなどでは一般的にカダフィ大佐と呼ばれているが、「大佐」はニックネームであり、カッザーフィーが主導した革命当時の階級は大尉である。そのためリビア各軍の階級には大佐以上の階級(大将や中将など)も存在する。
天皇とカダフィが慶事等で祝電・答電を送り合う場合、日本語では「リビア国革命指導者カダフィ閣下」と表記される。
リビアは反欧米・反イスラエルのアラブ最強硬派の国家である。1970年代や1980年代には欧米やイスラエルで数々のテロを引き起こしている(或いは過激派のテロの支援をしてきた)。このため欧米などから「テロ国家」と非難されてきた上、また核兵器の開発も秘密裏に進めていた。
また、1984年にはロンドンのリビア大使館員が路上で反政府デモを行っていたリビア人に大使館内から銃を発射し、デモの警備を行っていたスコットランドヤードの女性警察官のイヴォンヌ・フレッチャーが死亡。その後イギリスはリビアとの国交を断絶した。
1985年にはイタリアの客船をリビア人がシージャックしユダヤ系アメリカ人人質1名を殺害、同年にトランスワールド航空機がハイジャックに遭い人質が殺害された上、さらに同航空機が1986年に爆破テロに遭い、アメリカ合衆国はこれらの一連のテロがリビアの政府の支援のもと行われていたと断定し、リビアの最高指導者カッザーフィーを狙って空爆(リビア爆撃)している。1988年のパンナム機爆破事件では国際連合に経済制裁を課せられてしまうなど国際社会から完全に孤立化した。
しかし近年は態度が軟化し、核開発の全面放棄やパンアメリカン航空機爆破事件の容疑者引渡しや犠牲者への補償にも、国として事件への関与を認めたものではないが、一部のリビア人公務員が起こした事件で遺憾に思うとして応じた結果国連の経済制裁は解除され、欧米との関係改善も進んでいる。
また、近年ではアフリカ連合の活動に積極的に参加するなど、リビア外交の重点が「アラブ」から「アフリカ」に移りつつあると見る向きもある。
この様な動きの中でアメリカはリビアを「テロ支援国家」指定から外し、その後2006年5月15日にアメリカはリビアとの国交正常化を発表した。なお、在外公館は大使館という名称を使わず、人民事務所と称しているが、アラブ圏におかれるものは「関係局 (Relations Bureau)」との名称が用いられている。日本駐在の人民事務所の長としては長らく「代理書記」(臨時代理大使相当。信任状認証なし)が派遣されていたが、2004年4月に「書記」(特命全権大使相当。