正式名称は、?????????? ??????? ??????? ??????? ?????????? ??????(ラテン文字転写 : al-Jam?h?r?ya al-‘Arab?ya al-L?b?ya al-Sha‘b?ya al-Ishtir?k?ya; アル=ジャマーヒーリーヤ・アル=アラビーヤ・アッ=リービーヤ・アッ=シャアビーヤ・アル=イシュティラーキーヤ・アル=ウズマー)。通称は、?????(L?biy? リービヤー)。
公式の英語表記は、Great Socialist People's Libyan Arab Jamahiriya。Great がついたのはごく最近のことである。通称は、Libya。
日本語の表記は、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国。また、社会主義人民リビア・アラブ国と訳す場合もある。 後者の名称は2004年まで用いられたが、CIA Factbook の名称変更に伴い、日本(外務省ウェブサイト等)でも正式国名として前者の名称が採用された(ただし、同じ外務省による表記であっても各種の条約・協定の和訳文中ではその後も後者の名称が用いられている)。通称は、リビア。
1951年 - 1963年 : リビア連合王国
1963年 - 1969年 : リビア王国
1969年 - 1977年 : リビア・アラブ共和国
1977年 - 2004年 : 社会主義人民リビア・アラブ国
2004年 - : 大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
各言語の国名に共通する Libya は、ギリシャ神話に出てくる、エパポス (Epaphus) とメンピス (Memphis) の娘、リビュエ (Libya) のことで、ポセイドンの愛人。そこから古代ギリシアでは、ギリシャから見て海の向こう側である北アフリカの地中海沿岸地域(エジプトより西)をまとめて Libyaと呼び、さらにこの語は、アフリカ大陸全体を指す場合もあったが、やがてこの名は消えた。その後、現在のリビアの領域は、北西部が首都トリポリ(アラビア語名タラーブルス)の名をとってトリポリタニア(タラーブルス)、北東部がキレナイカ(アラビア語名バルカ)、南部内陸部がフェッザーンなどの地域からなっており、16世紀にこの地を併合したオスマン帝国はこの地域全体を西タラーブルス州としていたが、1911年にイタリアがオスマン帝国からこの地を奪った際に、古名を復活させリビアとした。
詳細はリビアの歴史を参照
7世紀にアラブに征服され、イスラム教が広がった。その後16世紀にオスマン帝国に併合、1911年にはイタリアが植民地にする。
第二次世界大戦中には連合国(イギリス)と枢軸国(イタリア、ドイツ)の間で激戦が繰り広げられた(北アフリカ戦線)。 イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領となる。
1951年に国連の決議によりキレナイカ、トリポリタニア、フェッザーンの三州による連合王国として独立。ただし1963年に連邦制は廃止された(リビア王国)。
1969年9月1日、ムアンマル・アル=カッザーフィーと同志の将校たちによるクーデターでトルコに滞在中だった国王イドリース1世を退位させ、現在のカッザーフィーを元首とする国家が成立した。
その後はイスラム教の原理に基づく国家を建設していったが、数々のテロへの支援などでアメリカやイギリスなどの欧米諸国と敵対していくようになっていった。
リビアの国旗は緑一色と非常に簡素だが、この国旗になるまではエジプトと共通の国旗を使用していた(アラブ共和国連邦)。しかし、エジプトが当時、リビアの敵対国であったイスラエルと国交樹立するとムアンマル・アル=カッザーフィーは怒り狂ってエジプトとの断交を決意し、同時に国旗を変えるように指示、部下に代わりの国旗をデザインさせたが、時間が足りなかったために緑一色(イスラム教の色)という簡素なデザインになってしまったという。
アフリカ大陸の北部、地中海に面しており、気候は温暖。サハラの一部で、国土の大部分が砂漠。南部には山脈が走る。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。
首都のトリポリ(タラブルス)、ベンガジ、第二次世界大戦当時の激戦地として知られるトブルクが主要都市である。
リビア砂漠
地中海 - スルト湾(シドラ湾)
詳細はリビアの行政区画を参照
シャアビーヤと呼ばれる州・県レベルの自治体が34、
クフラ(南東の端)
フェッザーン(クフラの西、チャドに接する)
ムルズク(フェッザーンの西、ニジェールに接する)
東部 アジュダビーヤー(クフラの北、ダルナの南)、ダルナほか4つ
首都周辺 8つ
スルト
ジュフラ(スルトの南、フェッザーンの北)、
サウファジーン(スルトの西)
ガダミス(ガルヤーンの西、アルジェリア、チュニジアに接する)
西部 ガルヤーン、シャーティ(ガルヤーンの南)、ゼフハ(シャーティの南東)、アウバーリー(シャーティの南)ほか1つ
その下にマハッラと呼ばれる自治体が468置かれている(2006年現在)。
リビアは人民主権に基づく直接民主制を宣言し、ジャマーヒリーヤと呼ばれる独特の政体をとる国家である。成文憲法は存在せず、1977年に制定された人民主権確立宣言が、その機能を果たす。またイスラム法も、主要な法の源とされている。
1969年以来、アラブ社会主義連合による一党独裁体制であったが、同党は既に解散しており、党の権能はそのまま国家機関へと移行した。